明治・大正名所 探訪記

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zoom RSS 伊豆の国名所 反射炉

<<   作成日時 : 2016/07/21 19:52   >>

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 平成27年7月、「韮山反射炉」を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録されました。静岡県伊豆の国市にある「韮山反射炉」は、幕末期の韮山代官・江川英龍(坦庵)が手がけ、後を継いだその子の英敏が完成させました。「反射炉」とは、金属を溶かし大砲を鋳造する炉で、現存するのはここだけだそうです。
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△絵葉書「伊豆韮山反射炉」
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 嘉永6年(1853)のペリー来航により、幕府は蘭学に通じ、江戸湾海防の実務責任者となった江川太郎左衛門英龍(坦庵)に対し、江戸湾の「台場」築造と反射炉の建造を命じます。建設は当初、下田とされましたが、ペリー艦隊の水兵が反射炉建設地内に進入するという事件がおこり、反射炉を韮山代官所に近い現在の地に移転することになりました。
 しかし、安政2年(1855)正月、江川英龍(坦庵)は韮山反射炉の竣工を見ることなく病死し、後を継いだ江川英敏は佐賀藩に応援を求め、佐賀藩技師の助力を得て、安政4年(1857)11月に「韮山反射炉」は着工から3年半の歳月をかけて、ようやく完成したのでした。
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△江川太郎左衛門英龍の像
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 「韮山反射炉」では、元治元年(1864)に幕府直営反射炉としての役割を終えるまでに、鉄製18ポンドカノン砲や青銅製野戦砲などの西洋式大砲が鋳造されました。


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 現地のボランティアの人の説明では、反射炉は幕末に廃炉とされ、慶応2年に江川家の私営となり明治維新を迎えます。その後、日露戦争での勝利をみて、陸軍内に明治維新の遺産保護の機運が盛り上がって、明治41年に陸軍によって補修工事が実施されます。大正11年に至って史跡に指定され、内務省へ移管されています。上の写真は、明治初期の荒れ果てている反射炉の様子です。



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△反射炉近くのレストラン内で、カレーと地ビール「太郎左衛門」を頂き、
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△反射炉の後、史跡・韮山役所跡「江川邸」を訪ねて、
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△ついでに三津シーパラダイスで、イルカショーを楽しみました。


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