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明治・大正名所 探訪記
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 明治に入り西洋から様々な技術が導入されました。そのひとつに印刷技術があります。従来の木版に加えて、石版・銅版・凸版・活版などなどいろいろな印刷物が発行されました。関所の撤廃や鉄道の開通によって庶民の旅行が自由化されると、旅行客や商用客を目当てに名所・旧跡を紹介したガイドブック、名所絵、絵葉書が続々と発行されていきます。
 ここ十数年来、買い集めた明治・大正の印刷物に写っている風景を訪ね、残された痕跡を追います。
*無断転載・複製を禁ず



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タイトル 日 時
東京名所 玉川遊園地
東京名所 玉川遊園地  明治29年、世田谷区内で同時に2つの鉄道敷設の出願が出されます。ひとつは「玉川砂利電気鉄道」であり、もうひとつは「玉川電気鉄道」でしたが、その後、双方の計画はまとまり、明治36年10月に「玉川電気鉄道株式会社」が誕生します。資本金は40万円で、麹町区内幸町に本社を置きます。そして明治40年3月にまず道玄坂上〜三軒茶屋間が開通。続いて同年4月には三軒茶屋〜玉川(現・二子玉川)間が、さらに8月には道玄坂上〜渋谷間の全線が開通します。渋谷〜玉川間の全線開通によって、旅客が飛躍的に伸び、それを機に本社... ...続きを見る

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2016/09/10 17:47
東京名所 鬼子母神ケヤキ並木
東京名所 鬼子母神ケヤキ並木  豊島区雑司ヶ谷の「鬼子母神堂」は、永禄4年(1561)、清土(文京区目白)の田んぼから鬼子母神像が掘り出され、これを祀るため里人が叢林を拓いて、ここにお堂を建てたのが始まりです。現在の本殿は寛文4年(1664)に広島藩主・浅野光晟の正室満姫の寄進によって造営されたと伝わっています。江戸時代から子授け、安産の御利益があるとされ、多くの参詣客でにぎわいました。 ...続きを見る

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2016/09/04 11:22
長野名所 保科観音
長野名所 保科観音  北信濃シリーズ第三弾。 上高井郡 旧保科村(現・長野市)にある「阿弥陀山清水寺」は、天平14年(742)、行基が自ら刻んだ三体の千手観音の一体をこの地に安置したのが始まりと寺伝にあり、延暦20年(801)から大同元年(806)にかけての坂上田村麿による奥州平定に際して、戦勝祈願と凱旋御礼に参詣して戦利品を奉納して、伽藍を建立したと云われております。  室町時代には八代将軍・足利義政公の帰衣を受け、三重塔をはじめとする三十余の堂宇を有する名刹でしたが、大正5年の保科村の大火によって、絵葉書の三... ...続きを見る

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2016/08/25 21:19
小布施名所 岩松院
小布施名所 岩松院  真田丸第三弾です。長野県上高井郡 旧・都住村(現・小布施町)にある「岩松院」には、戦国武将・福島正則公の霊廟があります。小布施町が設置した説明書によると、福島正則は尾張国二ツ寺村(現・愛知県美和町)に生まれ、加藤清正とともに豊臣秀吉子飼いの武将として活躍。「賤ヶ岳の七本槍」に数えられ、関ヶ原の戦いでは徳川方に味方し、安芸・備後二カ国四十九万石八千石を領する大大名となります。  現在放映中の「真田丸」のなかで、福島正則公は加藤清正とともに秀吉の側近として描かれています。大河ドラマでは秀吉が亡く... ...続きを見る

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2016/08/13 15:24
須坂名所 米子不動尊
須坂名所 米子不動尊  「真田丸」第二弾です。北信濃・須坂中心部から上信県境へ向かうと、菅平・四阿山を望む須坂市米子地区があります。この地にある「米子瀧山不動寺」は、古くから「米子のお不動さん」、「米子不動尊」とも呼ばれ、日本三大不動尊に数えられている真言密教(東密)の寺院であります。このお寺は、奈良時代の僧、行基により開山された古刹。現在の奥之院の地に瀧澤山家原院如来寺を建立し、行基自ら大日如来を刻み、本尊として安置したことに始まります。  永禄2年(1559)4月、上杉謙信公が京に上洛した際、室町幕府十三代将軍... ...続きを見る

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2016/08/12 17:16
大阪名所 真田丸
大阪名所 真田丸  大阪城南の丘陵に位置する真田山に鎮座する「三光神社」の創始は、仁徳天皇から三代後人皇十八代反正天皇の御宇と伝えられています。古来より日本全国で唯一の中風除の神として広く知られ、全国各地から参拝者が絶えないそうです。  社碑によると、「此の地はもと大阪城の出城の在りし処にして、慶長、元和の大阪合戦の頃、真田幸村、茲に陣し、本城より此の処に至るまで地下に暗道を設け、今尚其の痕跡を本殿階下に止むるより、世俗に真田山の三光と称するに至れり」といい、いま話題の「真田丸」の一部と伝えられています。 ... ...続きを見る

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2016/08/06 23:58
東京名所 溜池演伎座
東京名所 溜池演伎座  明治45年7月30日午前零時43分に、幕末・明治の日本を近代国家へと導かれた明治大帝が崩御されます。明治大帝の大葬の儀は、年号が変わった同じ年の大正元年9月13日に東京市赤坂区の青山練兵場(現・明治神宮外苑)に設けられた葬場殿において執り行われました。 △絵葉書 明治天皇御大葬儀「赤坂溜池 演伎座前」 ...続きを見る

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2016/07/30 23:22
伊豆の国名所 反射炉
伊豆の国名所 反射炉  平成27年7月、「韮山反射炉」を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録されました。静岡県伊豆の国市にある「韮山反射炉」は、幕末期の韮山代官・江川英龍(坦庵)が手がけ、後を継いだその子の英敏が完成させました。「反射炉」とは、金属を溶かし大砲を鋳造する炉で、現存するのはここだけだそうです。 ...続きを見る

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2016/07/21 19:52
富士宮名所 富士山本宮浅間大社
富士宮名所 富士山本宮浅間大社  古より噴火を繰り返す「富士山」は神が宿る山とされて、広く崇められています。鎌倉時代には修験者が修行のために入山・登拝するようになり、江戸時代に入ると富士山信仰が盛んになると、庶民も大宮・村山口登拝道から組織だって富士山を参詣するようになりました。大宮・村山口登拝道(現在の富士宮口登山道)は、富士山南西麓の富士山本宮浅間大社を起点とし、村山浅間神社(興法寺)を経て、山頂の南側へと達する登山道で、安政6年(1860年)に英国公使オールコックが外国人として最初の富士登山を行った道としても知られていま... ...続きを見る

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2016/07/18 18:11
東京名所 洲崎遊廓
東京名所 洲崎遊廓  江東区の永代通りにある東陽三丁目交差点を南へ入った一角に、かつて「洲崎遊廓」がありました。  「江東区史」によると、「洲崎遊廓は明治21年に本郷根津遊廓が移転してきたものを元々としてできたのである。…根津の遊里は水野越前守の天保13年(1842)の弾圧によって一時は全滅した。阿部伊勢守の緩和政策によって、…根津にも芸妓屋、料理屋が復活し、その勢いに乗じて慶応4年(1868)に幕府の陸軍奉行から根津に遊廓設置を許可したのである。この年、明治元年と改元せられ、明治政府は根津遊廓の廃止を目論んだが... ...続きを見る

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2016/06/19 18:23
函館名所 五稜郭
函館名所 五稜郭  北海道新幹線が開通して盛り上がっている函館ですが、今回は「五稜郭」を訪ねました。  特別史跡「五稜郭」跡は、函館開港に伴って移転した「函館奉行所」を取り囲む西洋式の土塁。蘭学者の武田斐三郎により、ヨーロッパの城郭都市を模して設計されたそうです。戊辰戦争では、旧幕府軍により占拠され、榎本武揚や土方歳三が入城し最後の抵抗が展開されました。 ...続きを見る

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2016/06/15 20:48
平泉名所
平泉名所 (おくの細道) 『予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘の古巣を払ひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神の招きにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月、先ず心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、    「草の戸も 住替る代ぞ ひなの家  芭蕉」   面八句を庵の柱に懸置く。』 ...続きを見る

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2016/05/16 19:47
盛岡名所
盛岡名所  『ようこそもりおかへ。 豊かな森に囲まれ,あふれ出る清らかな水に恵まれた盛岡。雄大な「岩手山」の裾野に広がるこの土地は,旧石器時代から人々が暮らし,生活の跡を残しています。縄文時代にはいくつもの集落が点在し,森や野原の恵みと海からの恵みが交わる交易地としてにぎわいが生まれました。 ……南部家26代南部信直が,豊臣秀吉から岩手郡を含む7郡の本領を安堵され,「盛岡藩」が誕生しました。盛岡藩の2代藩主利直の時代に城下町の建設が大きく進展します。町割りは,城の周りに二重の外堀を巡らせ,上方や江戸から迎... ...続きを見る

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2016/05/14 08:09
東京名所 市ヶ谷台
東京名所 市ヶ谷台  牛込御門(飯田橋)から赤坂御門に続く江戸城外濠は、寛永13年(1636)に三代将軍家光公の命により、東国の大名52家が分担して開削したものです。この外濠は巧みに地形を取り入れて造成されており、牛込から市ヶ谷付近は神田川から伸びる支流・谷筋を利用しています。この谷筋は元は「紅葉川」と呼ばれていたらしく、新宿区富久町に発して曙橋付近から市ヶ谷に至る川で、その下流は堰き止められて、現在外濠となっているという訳です。 ...続きを見る

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2016/05/08 20:20
島根名所 出雲大社と石見銀山
島根名所 出雲大社と石見銀山  いつかは出雲と思っていましたところ、縁あって初めて出雲大社を参拝することになりました。縁結びの神様として知られる大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)を祀る出雲大社ですが、60年ぶりに平成の大遷宮が行われ、御本殿や末社の修造も完了したところです。  一畑電車を降り立つと、「行こう。島根には本物がある。」 というポスターに出迎えられます。「旧暦十月に全国から神々が集い、あらゆる縁結びについて話し合いが行われるというご縁の国 島根」を訪ね歩きます。 ...続きを見る

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2016/05/04 10:18
姫路名所 姫路城と第十師団
姫路名所 姫路城と第十師団  山陽新幹線の「レールスター」に乗って、平成の大修理が終わったばかりの世界遺産「姫路城」に向かいました。昔はたびたび用事があって通っていましたが、すっかりJR姫路駅の駅舎と駅前広場がきれいに整備されて、別の街に来たようでした。さて今回の訪問の目的は、下の石版版画「日本百景」が残した景色を訪ね歩くことです。 ...続きを見る

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2016/05/03 00:43
高砂名所 石乃宝殿(日本三奇)
高砂名所 石乃宝殿(日本三奇)  前々から不思議に思っていた場所を探訪しようと、ちょっと元気を出して出かけてみました。さて「日本三奇」はご存じでしょうか。日本三奇とは、『宮城県鹽竈神社の「四口の神竈」、兵庫県生石神社の「石乃寶殿」、鹿児島県霧島神宮の「天之逆鉾」』と云われています。  山陽新幹線にてJR姫路駅で在来線に乗り換え、宝殿駅で下車。そこから徒歩で20分ほどで「石乃寶殿」(石の宝殿)が祀られている「生石神社」(おうしこ)の屋根が山の中腹に見えてきます。 ...続きを見る

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2016/05/02 09:00
東京名所 亀戸天神社
東京名所 亀戸天神社  江戸時代から学問の神様として信仰を集め、庶民から親しのまれてきた「亀戸天神社」。寛文2年(1662)、九州大宰府天満宮の神職が、飛梅の木で菅原道真公の像をつくり、祀ったのが創建と云われています。「古くは、ご本社にあたります九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称されておりましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称いたしました」そうです。一般には、「亀戸の天神さま」、「亀戸天満宮」、「亀戸天神」と呼ばれ... ...続きを見る

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2016/04/23 18:41
水戸名所 偕楽圓
水戸名所 偕楽圓  先般、開催中の「第120回 水戸の梅まつり」に行ってきましたが、天気が悪くて残念でした。梅の名所「偕楽園」は天保13年(1842)に水戸9代藩主、徳川斉昭公により造園されました。幕末維新において世論を先導した斉昭公は「烈公」と呼ばれ、水戸藩において改革派の人材を登用し西洋式軍備を導入、民政を重視して藩財政基盤の再建を勧め、ペリー来航後に尊攘派としての立場を貫き、老中・井伊直弼と対立していきます。  この偕楽園は、藩主のみならず藩士、領民が共に遊息するために造られたもので、千波湖に臨む七面山を... ...続きを見る

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2016/03/20 06:01
東京名所 虎ノ門外 どんどん
東京名所 虎ノ門外 どんどん  最近、虎ノ門ヒルズの前で気になる看板を見つけました。いま東京都港区内を歩くと、ちょくちょく旧町名を説明する看板が街々に掲げられていることに気が付きます。たいへんに良い取り組みだと感じていましたが、さて、その気になる看板には次の通り記載されていました。 「葵町/明治5年、武家地が合併して溜池葵町となり、明治44年、冠称の溜池を廃して「葵町」と改称されました。町名は「葵坂」があったことに由来します。溜池の南端は堰になっていたので、池の水が滝となって流れ落ちており、この滝口へ上がる坂が「葵坂」で、... ...続きを見る

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2016/03/08 21:19
東京名所 金龍山浅草寺
東京名所 金龍山浅草寺  「浅草寺縁起」によると、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、檜前浜成・竹成の兄弟が隅田川での漁の途中、一体の仏像を投網の中に発見し、それを郷司の土師中知が拝し、聖観世音菩薩の尊像であることを知り、自ら出家して屋敷を寺に改めます。これが「浅草寺」の草創だそうです。  さて、明治名所探訪の旅は、いよいよ東京名所の目玉である「金龍山浅草寺」を訪ね歩きます。江戸時代は無論、明治・大正・昭和・平成と時代が移り変わっても、人気参詣先としてその地位は不動のものです。この日も訪日外国人で境内は埋め尽く... ...続きを見る

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2016/02/28 16:27
東京名所 神田明神
東京名所 神田明神  神田明神(神田神社)は、天平2年(730)に出雲氏族・真神田臣(まかんだおみ)が祖神大己貴命を現在の皇居大手町付近に祀ったのを創祀とし、後に、時宗・真教上人により平将門公が合わせ祀られ以来、江戸総鎮守神田明神として広く庶衆の信仰を集めています。徳川将軍の江戸城拡張に際し、元和2年(1616)艮(うしとら)の鬼門の守護神として現在の地に遷座され、歴代将軍家の尊崇篤く、神田祭は天下祭と呼ばれています。 ...続きを見る

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2016/02/14 17:21
東京名所 芝増上寺
東京名所 芝増上寺  前稿では「皇居二重橋」の姿を写した石版版画を紹介しましたが、東京名所として二重橋とともに必ず登場するのが、芝にあった「増上寺」です。この芝増上寺の図は江戸時代からさまざまな浮世絵に描かれたりしてきました。明治期に入ってもその人気は変わらず、多くの石版版画や絵葉書として残されています。  増上寺は浄土宗の七大本山の一つで、開山は明徳4年(1393)。浄土宗第八祖 酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれました。場所は、現在の千代田区平河町から麹町にかけての地だったようです。 室町時代から... ...続きを見る

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2016/02/13 17:27
東京名所 皇居外苑
東京名所 皇居外苑  明治中期になると鉄道網が整備され、人々の移動が楽になり鉄道旅客が増えていきます。とくに地方から東京を目指す人が増加しますが、その目的は様々で、東京で一旗揚げようとする者、商売をする者、青雲の志をもつ学生たち、そして東京見物する者といろいろでした。その東京見物の人々が買い求めたのが、多色刷り石版版画です。まだカラー写真の技術が広まっていない中で、貴重なお土産となった訳です。  では当時東京で人気の場所はどこであったのか(・・? 多色刷り石版版画は、名所の風景を6枚とか10枚とか12枚、あるいは... ...続きを見る

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2016/02/11 15:54
松山名所 愛媛県庁本館
松山名所 愛媛県庁本館  一年ぶりの松山市でしたが、今週、来週のブラタモリが松山でびっくりしました。  ところで、愛媛県の名の由来は、古事記の国生みの神話に出てくる『愛比売』にちなんで付けられたそうです。幕藩体制において、伊予の国には八藩がありましたが、明治4年7月の廃藩置県によって、伊予八県体制、つまり西条県、小松県、今治県、松山県、大洲県、新谷県、吉田県、宇和島県となります。その後、明治6年2月に至り八県が統合されて「愛媛県」が誕生しました。  現存天守である「松山城」を見上げるように建てられた「愛媛県庁本館」... ...続きを見る

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2016/01/31 16:19
京都名所 都七福神まいり
京都名所 都七福神まいり  七福神は京都が発祥の地とされ、「都七福神」の巡拝は古くから行われているものだそうです。旅行ガイドをみると、「特に新春に巡拝すると七難即滅、七福即生極まりなしと云われ、功徳が大きいとされている」と知り、1月中にと思い、さっそく出かけてみることにしました。 ...続きを見る

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2016/01/24 11:07
東京名所 高輪泉岳寺
東京名所 高輪泉岳寺  『時に元禄15年(1702)12月14日、 江戸の夜風をふるわせて 響くは山鹿流儀の陣太鼓、 しかも一打ち二打ち三流れ、 思わずハッと立上り、 耳を澄ませて太鼓を数え、 おう、 まさしく赤穂浪士の討ち入りじゃ…』  という訳で、BS放送で「忠臣蔵」が流されていたので、12月に入ったら訪ねよう訪ねようと考えていました。とうとう年末になってしまいしたが、ようやく義士が埋葬された高輪泉岳寺を訪ねることが出来ました。こんな年末の忙しい時に訪ねる人もいないだろうと勝手に思っていましたら、結構人がいて人... ...続きを見る

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2015/12/27 15:17
成田名所 成田山新勝寺
成田名所 成田山新勝寺  「成田のお不動さま」の名で親しまれている成田山新勝寺は、真言宗智山派の総本山で千年以上の歴史があり、関東三山の筆頭となっています。昭和55年には仁王門、三重塔、光明堂などが国の重要文化財に指定されました。新年参りの準備が進む成田山を参詣し、来年は良い年になりますよう祈願したあとは、TVで見た参道を散策しながら名物のウナギの店を探してみました。 ...続きを見る

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2015/12/19 17:35
寺泊名所
寺泊名所  新潟県寺泊は西廻り海運の港として、また北陸街道の宿場町として繁栄した町です。平成18年に長岡市と合併しています。佐渡島と本土とは寺泊が最短距離にあり、佐渡との間を佐渡汽船が定期航路を運航しています。  寺泊の歴史としては、弘仁13年(822)、寺泊にあった国分寺の尼法光が、往来の旅人の難儀を救うために布施屋(無料宿泊所)を設けて渡船2隻を置いた、と伝わっています。寺泊には古くから多くの寺院があって、鎌倉時代から寺泊と呼ばれるようになったと云われているそうで、寺泊は別名「日本海の鎌倉」とも云わ... ...続きを見る

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2015/12/12 20:21
長崎名所 産業革命遺産
長崎名所 産業革命遺産  平成27年7月8日、幕末から明治期にかけて極めて短期間のうちに近代工業化を果たしたとして、全国に点在する「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録されました。それは目出度いというので、なかでも8件が登録された長崎県にある産業遺産群を訪ね歩きました。明治日本においては、鉄鋼・造船・石炭工業などの重工業部門に最新の西洋技術を移入することで、先進国であった欧米諸国に急ぎ追いつこうとした先人たちの遺構がここ長崎県には多く残されています。 ...続きを見る

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2015/11/23 22:37
長崎名所 丸山遊廓
長崎名所 丸山遊廓  寛永19年(1642)、長崎市中に散らばっていた遊里が丸山町とその隣接する寄合町に集められ、新たに「丸山遊廓」が設けられます。元禄5年(1692)の記録では、遊女屋74軒、遊女1,443人を数えました。この丸山遊廓の遊女は「出島」のオランダ屋敷や唐人屋敷への出入りが許されたため、オランダなどの物品が備えられるなどエキゾチックな雰囲気であったと云われています。   △絵葉書 「長崎 丸山遊廓」 ...続きを見る

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2015/11/18 19:22
東京名所 明治神宮
東京名所 明治神宮  明治45年7月30日に明治天皇が崩御されると、近代国家となった明治日本を牽引されてきた明治天皇の御聖徳を慕う国民の間から御神霊をお祀りする神社を創建したいと熱望する声が沸き起こります。そして大正3年4月11日に昭憲皇太后も崩御され、ご一緒にお祀りするため、「明治神宮」が代々木の地に造営されることとなりました。  さて、NHKスペシャル「明治神宮 不思議の森〜100年の大実験〜」の再放送を見ていて、はたと一度も参拝したことがないことに気付き、「明治神宮」へ出かけてみました。番組では、「東京に世... ...続きを見る

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2015/11/06 20:48
北海道名所 開拓の村
北海道名所 開拓の村  今年の北海道はすがすがしい気候となる日が少なかったようで訪ねた日も少し天候不順でしたが、札幌市厚別区にある野外博物館「北海道開拓の村」へ行ってきました。  「北海道開拓の村」は、昭和58年に北海道百年記念事業の一環として、道立自然公園野幌森林公園の一角に北海道開拓時代の歴史的建造物を道内各地から移築復元・再現させています。当初は15棟ほどから始まり、現在は52棟にまでなっているそうです。百年前の北海道開拓時代の気分が味わえますよ。 ...続きを見る

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2015/09/01 18:45
比叡山名所 ケーブルカー
比叡山名所 ケーブルカー  「比叡山延暦寺は、今から凡そ1200年前、伝教大師最澄上人が都の東北である鬼門を護り、万民豊樂を祈って根本中堂に不滅の法灯を掲げ、以来幾万の高徳名僧が三塔(東塔、西塔、横川)十六谷の三千の堂舎に籠もって血のにじむ修行を重ねて来られた霊山であります。」(拝観券より)  比叡山は、京都と滋賀の県境にあって、東には眼下に琵琶湖を望み、西には古都京都の町並を一望できる景勝地です。美しい自然環境の中で、1200年の歴史と伝統が高い評価をうけて、平成6年にはユネスコ世界文化遺産に登録されました。今回の巡... ...続きを見る

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2015/08/09 11:58
函館名所 西波止場
函館名所 西波止場  安政元年(1854)、幕府は米国との間に日米和親条約を終結し、下田とともに箱館を開港することとなります。翌年4月15日にペリー艦隊が箱館に来航して港内の測量を始め、同月21日には同艦隊の2船が入港、ポーハタン号に乗船していたペリー提督が上陸します。また安政5年6月には、各国と修好通商条約が締結されて、箱館は新潟、横浜、神戸、長崎とともに貿易港として発展の歩みを始めます。 ...続きを見る

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2015/07/26 01:04
京都名所 祇園祭山鉾巡行
京都名所 祇園祭山鉾巡行  台風11号の直撃を受け、関西地域では記録的な大雨となった今週。京都も強い雨が降り続き、24時間の雨量が7月の観測史上最大となりました。京都の中心を流れる鴨川は、一時氾濫危険水位を超えたそうです。そんななか、「祇園祭」に行って参りました。 ...続きを見る

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2015/07/18 09:43
市川名所 手児奈霊神堂
市川名所 手児奈霊神堂  JR市川駅を降りて千葉街道(国道14号線)まで進んで、一旦西へ向かい、コンビニ角を北へ、小路を入ると、それが「大門通り」です。真間山弘法寺(ぐほうじ)への参道です。ここから約1`進むと、弘法寺の大門が見えてきます。  同寺ホームページによると、「ここ真間山弘法寺は奈良時代、天平九年(737)、行基菩薩がこの地にお立ち寄りになられた折、里の娘、手児奈の哀話をお聞きになり、いたくその心情を哀れに思われ、一宇(いちう)を建てて「求法寺(ぐほうじ)」と名づけ、手厚くその霊を弔われた。それからおよそ百... ...続きを見る

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2015/07/11 21:24
東京名所 大森八景園
東京名所 大森八景園  幻の遊園地を訪ねる旅。今回は「大森八景園」を訪ね歩きます。  JR大森駅の西口(山王口)を出たところの坂道を「八景坂」と呼んでいます。その昔、この坂の上からの眺めは素晴しく、大森の海岸を始め遠く房総まで見渡すことができたことから「八景坂」と呼ばれました。  駅前の天祖神社の石段横に「八景碑」なるものがあり、そこに、「笠島夜雨、鮫州晴嵐、大森暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘」と、八勝景が刻まれています。これは当然のことながら、琵琶湖の名勝を表した近江八景の「唐崎夜雨、粟... ...続きを見る

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2015/07/08 18:00
川崎名所 大師電気鉄道
川崎名所 大師電気鉄道  厄除けで有名な「川崎大師」の正式名は「真言宗智山派大本山金剛山金乗院 平間寺」。ご本尊は厄除弘法大師尊像です。その昔、無実の罪で尾張国から追われ、川崎に住み着き漁師をしていた平間兼乗は42歳の厄年を迎え、厄除け祈願をしていたところ、ある夜、高僧が現れて、我が像を拾い上げて供養せよ、とのお告げがあります。兼乗が海へ出て海中から一体の木造を引き揚げ、草庵を建ててお祀りしたのが始まりだそうです。その後、高野山の尊賢上人が諸国遊行の折、ここに立ち寄り、大治2年(1128)に、兼乗とともに「平間寺」を建... ...続きを見る

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2015/06/22 21:33
山形名所 済生館
山形名所 済生館  6月と言えば…、梅雨空、ホタル、そしてサクランボ!!ということで、山形市を訪問しました。  山形城は最上氏の祖・斯波兼頼が延文2年(1357)に築城したと伝えられ、最上11代当主・最上義光の代に、関ヶ原合戦の戦功により57万石の大名となり、たいへんに山形は繁栄しました。  現在、山形城址は「霞城公園」と呼ばれていますが、霞が発生しやすく、戦国時代に敵国の間者が十日間様子を伺っていても霞で全く何も見えなかったことから「霞城」(かじょう)と 呼ばれたことに由来するようです。この「霞城公園」内... ...続きを見る

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2015/06/11 18:42
東京名所 堀切菖蒲園
東京名所 堀切菖蒲園  明治中期から昭和初期にかけ東京みやげとして盛んに発行された「東京名所」の版画セット、絵葉書セットに収められている風景を分別してみると、(1)近代的な建築物・構築物グループ、(2)江戸時代から続く寺社仏閣・旧跡グループ、そして(3)公園グループにグループ分けできます。そうした東京名所のなかでも異色なのが「堀切菖蒲園」だと思います。なぜ堀切が採り上げられてきたのか(・・? ちょうど、葛飾区立「堀切菖蒲園」にて、菖蒲まつりが開催されていましたので、訪問してみました。 ...続きを見る

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2015/06/07 15:00
仙台名所 芭蕉の辻
仙台名所 芭蕉の辻  奥州伊達藩の城下町として発展してきた仙台市は、人口100万人を超えた東北随一の大都市。平成元年には政令指定都市へ移行しています。  さて東北新幹線・仙台駅を降りて、「ハピナ名掛丁」、「クリスロード」、「マーブルロードおおまち」と、個性的な三連アケードを抜けると、古くから「芭蕉の辻」と呼ばれてきた十字路に出ます。いわゆる「札の辻」のことで、江戸時代、街道や宿場町など往来の多い場所に幕府や藩など官の制札を立てた高札場です。  ここ仙台では、仙台城から東へ伸びる「大町通り」と町を南北に貫く「奥州... ...続きを見る

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2015/06/05 23:09
高野名所
高野名所  高野山は平安時代の初めに弘法大師によって開かれた日本仏教の一大聖地です。弘法大師「空海」は31歳のときに唐の都「長安」に渡り、真言の教えを受け帰国。弘仁7年(816)、嵯峨天皇より真言密教の根本道場を開くため高野山を賜りました。それから千二百年。今年4月2日から5月21日までの50日間、高野山開創千二百年大法会が行われていましたが、それには間に合いませんでしたが、1200年の歴史を感じてきました。 ...続きを見る

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2015/06/01 19:00
伊香保名所
伊香保名所  GWを利用して伊香保温泉に行って参りました。伊香保と云えば「石段」で、伊香保のシンボルとなっています。石段をはさんで土産物屋や饅頭屋、射的場などが立ち並び温泉情緒もたっぷりでしたね。 ...続きを見る

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2015/05/04 23:10
東京名所 墨堤の桜
東京名所 墨堤の桜  墨田川の桜はいまや満開。初夏のような陽気に誘われて、屋形船で船遊びをしてきました。  墨田区ホームページを検索すると、向島二丁目から向島一丁目に続く「墨堤の桜」は、江戸時代、四代将軍徳川家綱が墨堤に常州桜川(茨城県桜川市)の桜を植えさせたことが始まりとか、八代将軍吉宗が植えた百株が最初だとか云われています。その後は、佐原鞠塢や宇田川総兵衛ら地元の人々により増し植えされていき、幕末には三囲神社まで、明治初年には枕橋手前まで桜が及び、「江戸第一の花の名所」とされています。 ...続きを見る

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2015/04/01 21:13
松山名所 松山城
松山名所 松山城  明治42年に発刊された「松山案内」なる小冊子を手に入れました。その冒頭、すばらしい紹介文が気に入って松山を訪れることにしました。  そこには、「伊予の松山、地理に疎き人々は此の言葉を聞いて何か辺陬の地であるかのやうに思ふかも知れないが、日露戦争以後、伊予の松山といふ名は欧州の果てまでも響き渡り、美しき海と美しき城の在る所として外国人から非常に賞賛されて居る。実際松山は美しい所である」と。ではなぜなぜ欧州で有名になったのか(・・?。こうです。  「近世史上に於いて見逃すことの出来ない事件があ... ...続きを見る

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2015/03/09 20:38
長野名所 川中島古戦場
長野名所 川中島古戦場  甲越の両雄が激突した地「川中島古戦場」。今週は北信濃の冬を楽しんできました。  「川中島の戦い」は、甲州の武田信玄と越後の上杉謙信が北信濃の覇権を争った戦いで、五度にわたる合戦の中で両雄が直接一騎討ちしたと伝えられるのが、永禄4年(1561)の四度目の戦い。乱戦の中、武田本陣が手薄になった一瞬を狙い、謙信が只一騎で信玄目がけて駆け寄って太刀を振り下ろしたところを信玄が軍配で受け止めたという。八幡原史跡公園として整備されている「川中島古戦場」では、大河ドラマ「風林火山」のあの名シーンが思い出さ... ...続きを見る

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2015/02/24 07:31
東京名所 板橋宿
東京名所 板橋宿  中山道を京へ向かうと最初の宿場が「板橋宿」です。日本橋から「二里二十五町三十三間」と言いますから約10`、上宿(本町)・中宿(仲宿)・平尾宿(板橋町)の三つの地区で構成されていました。一方中山道における江戸への玄関口として、旅人が江戸にへ入る前に旅装を解いて服を整える場所として大いに賑わったそうです。この板橋の地名の由来となっているが、石神井川にかかる「板橋」という橋です。その名前は今や板橋区へと引き継がれています。江戸時代の板橋の長さは、16.4b、幅5.5bの太鼓型の橋だったそうです。現在... ...続きを見る

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2015/01/24 17:12
東京名所 牛込神楽坂
東京名所 牛込神楽坂  明治23年に刊行された「東京名所図絵」によると、「神楽坂」について次のように紹介されています。 『神樂坂は牛込門の外の坂を云う。坂の両側、商家櫛比して頗る繁盛なり。俚俗相傳う坂の半腹右側は高田穴八幡の旅所(=祭礼において神輿が休憩する場所)あり、祭礼の時、神輿渡る時、神楽を奏する故に神樂坂と名付けし由』 とあります。  JR飯田橋駅西口を出ると江戸城の牛込御門の石垣を見ることができます。そこから右手へ坂を下っていくと目の前に「神楽坂」が見えてきます。絵葉書の左下には昭和初期の神楽坂の様子が映... ...続きを見る

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2015/01/12 16:51
豊明名所 桶狭間鎧掛の松
豊明名所 桶狭間鎧掛の松  先日、神社境内で年末骨董市が開かれていて、店主のオヤジと雑談しながら古い絵葉書を見てましたら、桶狭間の風景が目に飛び込んできました。  この絵葉書には「鎧掛の松」と記されています。いまどうなっているのか知りたくなって、年末の慌ただしいなか出かけてみることに。「鎧掛の松」はネットで調べると、豊明市の名鉄「中京競馬場前駅」の近くに石碑(よろいかけの松の旧地)が残されていることを知り、訪ね歩きましたところ、駅舎の脇の雑草の中にひっそりと石碑が残されていました。絵葉書の風景との変わりようにびっくりで... ...続きを見る

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2014/12/30 19:30

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