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明治・大正名所 探訪記
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 明治に入り西洋から様々な技術が導入されました。そのひとつに印刷技術があります。従来の木版に加えて、石版・銅版・凸版・活版などなどいろいろな印刷物が発行されました。関所の撤廃や鉄道の開通によって庶民の旅行が自由化されると、旅行客や商用客を目当てに名所・旧跡を紹介したガイドブック、名所絵、絵葉書が続々と発行されていきます。
 ここ十数年来、買い集めた明治・大正の印刷物に写っている風景を訪ね、残された痕跡を追います。

*無断転載・複製を禁ず



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タイトル 日 時
向島名所 枕橋 八百松
向島名所 枕橋 八百松  浅草側から見て、隅田川の向こう側にある島が「向島」だそうです。向島は四季折々の風物が美しい行楽地で、江戸・明治期を通じて人々に愛されます。とくに向島では、料理屋で浅酌低唱して、日が暮れるのを待って、竹屋の渡しから大川(隅田川)を渡り、山谷掘で降りて、土手八丁を進んで吉原へ繰り出したそうです。  絵葉書にある「向島枕橋」とは、源森川(北十間川)が隅田川に注ぐ河口に架かる橋です。もとは「源森橋」と呼ばれていましたが、近くの水戸藩邸の掘割に架かる橋「新小橋」とが、男女の枕を並べた様に見えたことから... ...続きを見る

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2018/05/27 16:29
北海道名所 本願寺道路
北海道名所 本願寺道路  以前手に入れた一枚の浮世絵。題名は「北海道新道切開」とあり、ずっと気になっていました。絵図には、「渡島郡茅部郡生草川ヨリ砂原マデノ大凡六里半、膽振国(いぶり)有珠郡室蘭郡ヨリ後志国(しりべし)小樽郡石狩国札幌御本府マデ大凡二十七里半、枝道十七里」とも記されています。 ...続きを見る

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2018/05/26 08:41
明治名所石版画の考察B 博覧会もきっかけ
明治名所石版画の考察B 博覧会もきっかけ  「明治名所石版画(仮)」が初見される明治28年に関して、前稿で採り上げた日清戦争の終結とともに、もう一つ国内で大きなイベントがありました。それが「第四回内国勧業博覧会」です。  内国勧業博覧会とは、第一回が明治10年に日本で初めての開催された博覧会で、明治6年のウィーン万博を参考に、初代内務卿・大久保利通が推し進めたものです。会場は東京上野公園で、欧米からの技術を展示するなど産業奨励会としての面を前面に押し出します。45万人を集め、第一回内国勧業博覧会は日本の殖産興業に大きな影響を与え、以後... ...続きを見る

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2018/05/22 14:37
明治名所石版画の考察A その初見
明治名所石版画の考察A その初見  多色刷りの「明治名所石版画(仮)」が初見されるのは明治28年です。この前後の日本の国内状況を調べますと、「日清戦争は朝鮮の支配権をめぐる日清両国の衝突。甲午農民戦争を契機に、日本の朝鮮政府改革要求が拒否されて明治27年8月1日に宣戦布告。大本営を広島に置く。」(山川出版社「日本史B用語集」)とあります。当時、東海道線の新橋〜神戸間は全通しており、神戸から西は「山陽鉄道」により鉄道敷設が進められていました。「山陽鉄道」は私鉄として明治21年に設立され、明治27年6月10日に神戸から広島駅に達しま... ...続きを見る

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2018/05/20 08:58
明治名所石版画の考察@ その始まり
明治名所石版画の考察@ その始まり  本ブログにてさまざまご紹介してきた「明治名所石版画(仮称)」ですが、ここ二十数年来、いろいろと文献を調べてきたものの、その名称も含めて制作経緯など明確に記された資料は存在しないことが判ってきました。仕方がないので、自分なりに調べていますが、ゴールデンウィークの暇つぶしに、今まで調べてきた結論をまとめてみたいと思います。 ...続きを見る

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2018/05/05 16:08
高輪名所 海上築堤
高輪名所 海上築堤  わが国初の「鉄道開業式」は、明治5年9月9日に予定されていましたが、雨天で三日間延期され、9月11日の午前九時に新橋停車場で執り行われました。これは旧暦で、のちに新暦の10月14日が鉄道記念日となります。当日、侍従・華族を従え、前後を騎兵に守られた明治天皇がご到着されます。停車場は万国旗等で飾られ、日比谷操練場や品川沖の軍艦から祝砲が放たれました。天皇一行は、10両編成の列車に乗車して、新橋〜桜木町間を往復し、午後一時に帰着して、勅語を下されます。「車に此線をして全国に蔓布せしめんことを庶幾す... ...続きを見る

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2018/04/22 17:21
芝名所 紅葉館
芝名所 紅葉館  訪日外国人の人気スポットのひとつが「東京タワー」です。昭和36年12月23日、各種放送局の電波を一箇所から発信するため、建造されたのが「東京タワー」でありました。総工費は28億円、工期は15ヶ月。首都圏一帯に半径150kmに発信されていたそうです。高さは333m、重さ4,000dと云われており、東京スカイツリーが完成した平成24年までテレビ電波塔として利用されてきました。   さて、この東京タワーは「紅葉館」という高級旅館の跡地に建てられました。で、今回はこの紅葉館の跡地を探求してみます。 ... ...続きを見る

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2018/04/21 20:40
備中高梁名所 天空の山城
備中高梁名所 天空の山城  いまや日本全国「雲海ブーム」ですが、なかでも雲海に浮かぶ山城が岡山県高梁市にあります。江戸時代から残る「現存天守」12城のひとつ「備中松山城」です。現存天守が雲海に浮かび上がる姿から「天空の山城」と呼ばれています。NHK大河ドラマ「真田丸」のオープニングにも登場した、雲海に浮かぶ絶景スポット「備中松山城」を訪ねてみました。 ...続きを見る

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2018/03/26 20:45
浅草名所 待乳山
浅草名所 待乳山  前々から気になっていたのが、「待乳山聖天」です。「まつちやま しょうでん」と読みます。この待乳山聖天・本龍院は、浅草寺支院の一つで、本尊は歓喜天(聖天)・十一面観音です。縁起によると、推古天皇3年(595)年9月20日、一夜にして待乳山が小高く盛り上がり、そこに龍が舞い降りたと伝えられています。 ...続きを見る

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2018/03/18 17:14
萩名所 松下村塾
萩名所 松下村塾 『今から150年前、長州藩は、10万人を超える兵力で四方から攻め寄せてくる幕府軍を相手に戦わざるを得ない、立藩以来最大の危機を迎えていました。この「四境戦争」において、長州藩は圧倒的な兵力の差をものともせず、勇猛果敢に立ち向かい、その勝利が時代を江戸から明治へと大きく動かす転機になったと言われています。』(by 山口県知事・村岡嗣政) ...続きを見る

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2018/03/17 10:27
上野名所 世界本店
上野名所 世界本店  いまや子パンダ・シャンシャンで盛り上がっている「上野恩賜公園」は、明治6年、芝、浅草、深川、飛鳥山とともに日本で初めて公園に指定されました。もと東叡山寛永寺の境内地でしたが、明治維新後に官有地となり、大正13年に宮内省を経て東京市に下賜されます。ここは、明治から大正、昭和にかけて、殖産興業などの目的で開催される博覧会の会場となり多くの人を集めました。この人出を目当てに上野には多くの飲食店ができますが、その中の幻の料理店を訪ね歩きます。 ...続きを見る

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2018/01/20 17:15
渋谷名所 金王八幡宮
渋谷名所 金王八幡宮  先ごろ「渋谷名所」というクレジットの入った絵葉書を見つけました。明治期の渋谷の中心地であった「渋谷町」の名所を紹介したものらしい。江戸時代の渋谷は諸侯や寺領のほかは幕府の直轄地として統治され、渋谷の丘はほとんどが武家屋敷で、低地の水田地帯には農家が点在し、宮益坂と元広尾には商家があったそうな。明治22年の市制町村制の施行により、上渋谷・中渋谷・下渋谷の三村を中心に「渋谷村」が誕生。さらに明治42年には戸数8,954軒、人口35,191人の「渋谷町」へ移行します。 ...続きを見る

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2018/01/14 16:31
大宮名所 氷川神社 石州楼
大宮名所 氷川神社 石州楼  埼玉県さいたま市の大宮が取り上げられた「ブラタモリ」を見てびっくり。明治期、大宮公園には料亭や割烹旅館が建ち並んでいたとのこと。幻の名旅館を追う者としては探訪しなくては思っていたところ、暇になりましたのでちょっとブラブラ、ブラタモリしてみました。  さて私の愛蔵書、明治22年刊の「日本名所図絵」によると、埼玉県については「荒川を渡れば浦和駅。此の地は埼玉県廰有る処にて繁花なり。是より西北に進めば大宮駅。此の地は日光路、中山道の両岐して、氷川神社は官幣社素戔嗚尊を祭りたり」とさらっと紹介されて... ...続きを見る

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2017/12/23 17:01
紀伊名所 和歌山城
紀伊名所 和歌山城  和歌の浦の後には和歌山市中心部に戻って、紅葉真っ盛りの和歌山城を探訪しました。こんもりと緑茂る虎伏山に白亜の天守閣がそびえるが、徳川御三家のひとつ紀伊徳川家の居城「和歌山城」です。  「和歌山城」は天正13年(1585)に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長のために築城。手掛けたのは築城の名人・藤堂高虎でした。最初に入場したのは豊臣秀長の城代であった桑山重晴。つぎに慶長5年(1600)には関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長が入城します。そして、元和5年(1619)には徳川家康の十男・徳川頼宣が入っ... ...続きを見る

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2017/11/23 16:33
紀伊名所 和歌の浦 あしべ屋
紀伊名所 和歌の浦 あしべ屋  明治期の石版版画を収集してきましたが、長年気になる一枚となっていた「紀伊名所 三橋より阿しべやを望む」景を訪れる機会を得て、苦節20年、ようやく行って参りました。  「あしべ屋」または「芦辺屋」は江戸時代、和歌山市和歌浦の妹背山と陸をつなぐ「三断橋」のたもとに建つ茶屋として始まり、明治期には3階建ての料亭・料理旅館として大繁昌します。本館に始まり、別館、妹背山別荘と発展していったそうです。石版版画の3階建ての本館は惜しくも昭和62年に解体され、跡地は現在公園・空き地となっていました。 ...続きを見る

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2017/11/22 23:05
信州名所 上高地
信州名所 上高地  年間120万人もの人が訪れる「上高地」。手付かずの自然が多く残る大自然の宝庫です。この上高地を世界に紹介したのがW・ウェストン。彼は明治21年に宣教師として訪日し、一方で日本各地を登山して歩きます。明治26年には前穂高岳に登頂し、このときの案内役が「嘉門次小屋」で有名な上條嘉門次でありました。  明治29年に著した『日本アルプス登山と探検』の中で、自らが登った上高地と穂高連峰、槍ヶ岳を称賛しました。上高地を有名にした彼の功績は「日本近代登山の父」として今日でも広く称えられています。11月15... ...続きを見る

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2017/11/11 16:05
東京名所 大森 森ヶ崎鉱泉
東京名所 大森 森ヶ崎鉱泉  東京モノレールに乗り、「昭和島」で下車して呑川を渡って少し歩くと大田区大森南5丁目に達しますが、そこは戦前、「森ヶ崎海岸」と呼ばれた一帯でした。  ここで明治32年8月に発見された鉱泉は、翌33年には含鉄アルカリ性食塩泉と分析され、その効用が認められます。明治35、36年頃には鉱泉旅館が建ち始め、次第に旅館兼割烹店へと変貌していき、戦前までは東京近郊の臨海保養地として知られました。こうした経緯を経て、森ヶ崎一帯は急速に発展を遂げます。 ...続きを見る

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2017/10/08 17:57
下関名所
下関名所  本州の西の端・下関は、源平壇之浦の合戦、巌流島の決闘、幕末の馬関戦争など、数々の歴史の舞台となってきた街で、見どころがたくさんありました。とくに関門海峡の雄大さとフグで有名な唐戸市場の活気にはビックリしました。 ...続きを見る

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2017/10/06 13:50
大分名所 宇佐神宮
大分名所 宇佐神宮  神武東征の神話によると、初代天皇・神武天皇は日向(宮崎)の高千穂宮で兄の五瀬命(イツセノミコト)と相談し、都を東の青山に囲まれた美しい国に置こうと、天磐船(あまのいわふね)に乗って東方を目指します。途中寄ったのが、宇佐(大分)、筑紫(福岡)、安芸(広島)、吉備(岡山)で、浪早(大阪)に至りますが、河内(大阪)で抵抗に遭い、五瀬命が矢に倒れ、紀伊(和歌山)へと迂回して、漸く大和(奈良)橿原へ入るという物語です。  「日本書紀」には宇佐へ立ち寄った様子が記されています。神武天皇の船団が宇佐へ立ち... ...続きを見る

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2017/10/05 17:26
小樽名所 オタモイ遊園地
小樽名所 オタモイ遊園地  小樽市の北部に「オタモイ海岸」という場所があります。石狩湾に面した海岸です。  この地名を知ったのは、平成25年7月1日に放送されたNHKニュースでした。それによると、『昭和初期にオープンし、小樽のオタモイ海岸にかつてあったオタモイ遊園地の秘蔵フィルムが発見された。龍宮閣というレストランは当時の市民の憧れだった』 という内容でした。幻の遊園地・名物旅館を追う者として一度訪ねてみたいと考えていましたが、今回、チャレンジしてみました。 ...続きを見る

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2017/06/04 11:17
鹿児島名所 仙巌園
鹿児島名所 仙巌園  「仙巌園」は万治元年(1658)、薩摩藩主・島津光久によって築かれた島津家の私邸別邸。錦江湾や桜島を借景した庭園があり、鹿児島観光の中心です。来年、NHK大河ドラマに西郷どんが登場しますが、観光客で混雑する前に初めて見学してきました。  この島津邸は、幕末・明治期に薩摩藩・鹿児島県の迎賓館のように利用され、幕末にはオランダ海軍将校や勝海舟、イギリス公使パークスが、明治期になると、大正天皇、昭和天皇やロシア皇太子ニコライ2世、イギリス皇太子エドワード8世など国内外の数多くの要人が訪れたそうです... ...続きを見る

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2017/05/26 07:41
宮崎名所 宮崎神宮
宮崎名所 宮崎神宮  『国生み神話から天孫降臨、そして神武天皇まで。古事記のハイライトともいえる物語の舞台となった宮崎はまさに神々のふるさと』である宮崎を訪ねてみました。  天照大御神(アマテラスオオミカミ)の命により、孫の迩迩芸命(ニニギノミコト)は葦原中国を統治するため地上に降ります。これを「天孫降臨」と呼びますが、降り立ったところは宮崎県高千穂町か、霧島なのかいろいろな説があるそうです。迩迩芸命(ニニギノミコト)の玄孫が初代天皇の神武天皇で、幼少の頃は宮崎県高原町(たかはるちょう)で過ごし、長じて現在の「宮... ...続きを見る

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2017/05/21 11:30
東京名所 染井 伊藤躑躅園
東京名所 染井 伊藤躑躅園  豊島区駒込地区は、江戸時代に園芸の里として発達し、染井通り一帯は植木屋が集まって住んでいた地域でありました。また染井村は花の名所として都びとに知られた存在で、一瓢を肩にかけて遊ぶ者が多かったと云います。江戸初期、津藩・藤堂家の下屋敷に仕えていた初代・伊藤伊兵衛が殿様の摘んで捨てた草木を拾って培養し、植木屋を始めたのが最初とされ、明暦2年(1656)に薩摩から運ばれた「キリシマツツジ」の栽培に成功し、「ツツジは染井」、「キリシマ伊兵衛」と呼ばれるまでになります。  ここ染井村周辺には、柳沢家下... ...続きを見る

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2017/04/26 18:44
東京名所 虎ノ門 工部大学校
東京名所 虎ノ門 工部大学校  虎ノ門交差点の文部科学省と会計検査院がある一帯には、江戸時代、内藤延岡藩邸がありました。明治期に入って、ここに「工部大学校」が設けられました。「工部大学校」は明治4年8月に設置された「工学寮」が始まりで、明治10年1月に「工部大学校」へと改称しました。工務省工作局に属しましたが、これは、「工部に奉職する工業士官を教育する」ことを目的としており、最初の入学者は全国から官費33名、私費13名が集まります。校舎としては版画にある大変にモダンな建物が用意されました。 ...続きを見る

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2017/04/16 15:07
東京名所 向島 三囲神社
東京名所 向島 三囲神社  桜が満開ですが、隅田川墨堤通りにある「三囲神社」は文和年間(1352-56)に近江三井寺の源慶和尚が社殿を改修した折、土中から白狐にまたがる老翁の像を見つけました。その時どこからともなく白狐が現れて、その像の周りを三度回って消えたという縁起から「三囲」(みめぐり)の名が付いたと云います。 ...続きを見る

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2017/04/09 12:45
東京名所 赤坂見附 北白川宮邸
東京名所 赤坂見附 北白川宮邸  日露講和条約は、明治38年9月5日に米国ポーツマスで調印されました。前線では9月8日前後に兵士の間で「講和成立休戦になる」との噂が広がっていましたが、ようやく9月16日正午を以て戦闘が停止したらしい。ただちに大本営は全軍に休戦を命ずるとともに、復員の準備に取り掛かります。帰還部隊の乗船地を大連や柳樹屯などに定められます。かくして、10月16日に「平和克服の詔勅」が下されて、実際には11月7日より大連や柳樹屯から帰還が始まり、翌39年3月26日の第十六師団が最後となりました。凱旋した兵士は、品川... ...続きを見る

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2017/03/05 16:22
千葉名所 稲毛海岸 海気館
千葉名所 稲毛海岸 海気館  幻の名旅館を訪ねる旅。今回は千葉県・稲毛海岸です。半農半漁の海辺の街であった「稲毛」に海水浴場が設けられたのは明治21年でした。その後、総武鉄道(総武線)が明治27年に開業し保養地として知られるようになります。  この明治21年、稲毛浅間神社に続く広い松林のなかに「海気館」が開業しました。海水浴保養所の走りとして、森鴎外や島崎藤村をはじめ多くの文人墨客が小説執筆のために滞在しました。  「海気館」は、海医学士の濱野昇により「稲毛海気療養所」として設立。施設は海水温浴場、海水灌漑場、遊戯場、... ...続きを見る

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2017/02/26 15:36
東京名所 品川神社
東京名所 品川神社  およそ四百年前、徳川家康によって整備された五街道のひとつ東海道。「品川宿」は、東海道五十三次の第一番目の宿場として、江戸時代後期には約1600軒、7000人が住んでいたと云います。  その東海道から分かれた参道を抜けたところに、品川宿の鎮守「品川神社」があります。6月の品川神社例大祭は「北の天王祭」と呼ばれ53段の階段を神輿が上り下りするそうです。境内には富士塚がありますが、下の絵葉書はそこから海側を眺めた景色と思われます。 ...続きを見る

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2017/02/12 16:03
東京名所 芝東照宮 霊廟
東京名所 芝東照宮 霊廟  明治40年に印刷された石版画ですが、タイトルが「芝 東照宮 霊廟」とあります。  「芝東照宮」のホームページによると、『当初、増上寺内境内に勧請された。増上寺は天正18年(1590)、家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められた。当時は日比谷にあったが、慶長3年(1598)、江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転した。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持った。この増上寺境内の家康公を祀る廟は、一般に安国殿と称された。これは家康... ...続きを見る

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2017/02/04 16:59
広島名所 宇品港 陸軍桟橋
広島名所 宇品港 陸軍桟橋 「空も港も夜は晴れて 月に数ます船のかげ 端艇(はしけ)の通い賑やかに 寄せ来る波も黄金なり…」  ...続きを見る

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2016/11/30 08:29
埼玉名所 吉見百穴と巌窟ホテル
埼玉名所 吉見百穴と巌窟ホテル  考えてみると、本ブログでは初の埼玉訪問です。偶然、埼玉県比企郡吉見町にある「吉見百穴」の存在を知って訪ねてみることにしました。そういえば日本史の教科書に載っていたよなー ということで思い出しましたので、ナビタイムで検索してみますと、東京から意外に近いということが判明。さっそく身支度を整えて出かけてみます。  「吉見百穴(よしみひゃくけつ)」は、今から約1300年前の古墳時代末期(6世紀末〜7世紀末)の横穴墓群で、江戸時代より不思議な穴として知られていたとか…。ここに光があたったのが、明治20... ...続きを見る

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2016/11/17 20:38
東京名所 本門寺と池上温泉
東京名所 本門寺と池上温泉  JR蒲田駅で東急池上線に乗り換えて、池上駅で下車すると、駅前は日蓮宗の大本山「池上本門寺」の参道です。日蓮宗の祖・日蓮聖人は弘安5年(1282)10月13日、郷主・池上宗仲の邸で入滅します。日蓮の亡くなったのち、池上宗仲は屋敷を寄進して寺院とし、「本門寺」が創建されます。関東有数の巨刹で、全国の末寺は二百寺を数えたと云います。   △日本名所図絵「池上本門寺」 明治22年刊 ...続きを見る

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2016/11/05 17:38
千歳名所 インディアン水車
千歳名所 インディアン水車  新千歳空港から鉄道に乗ってすぐ、JR千歳駅で降りて歩くこと10分ほどで今回の目的地「千歳水族館」に到着します。この水族館を訪ねた目的は、天然のサケの遡上が見られるということです。水族館に入って、地下道を進んでいくと、清流・千歳川の川の中を直接見ることが出来る「覗き窓」が設けられています。10月に入ってサケの遡上がピークを迎えているようで、実際に天然のサケの遡上を見ることができました。 ...続きを見る

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2016/10/26 07:48
酒田名所 山居倉庫
酒田名所 山居倉庫  山形県庄内地方は、江戸時代、徳川四天王の筆頭と云われた酒井家が代々治めました。徳川譜代であっことから江戸からもたらされた江戸文化と北前船がもたらす上方文化、そして東北の文化が混ざり合った独特の庄内文化が形成されたそうです。  庄内藩の城郭は内陸の山形県鶴岡市に設けられますが、日本海に面した隣りの酒田市は港町として、大阪と蝦夷地を結んだ「北前船」が行き来し、中継地として酒田湊には大きな繁栄がもたらされます。北前船だけでなく、最上川を行き来する川船も多く集まり、大きな賑わいをみせ、「西の堺、東の... ...続きを見る

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2016/10/12 06:46
東京名所 玉川遊園地
東京名所 玉川遊園地  明治29年、世田谷区内で同時に2つの鉄道敷設の出願が出されます。ひとつは「玉川砂利電気鉄道」であり、もうひとつは「玉川電気鉄道」でしたが、その後、双方の計画はまとまり、明治36年10月に「玉川電気鉄道株式会社」が誕生します。資本金は40万円で、麹町区内幸町に本社を置きます。そして明治40年3月にまず道玄坂上〜三軒茶屋間が開通。続いて同年4月には三軒茶屋〜玉川(現・二子玉川)間が、さらに8月には道玄坂上〜渋谷間の全線が開通します。渋谷〜玉川間の全線開通によって、旅客が飛躍的に伸び、それを機に本社... ...続きを見る

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2016/09/10 17:47
東京名所 鬼子母神ケヤキ並木
東京名所 鬼子母神ケヤキ並木  豊島区雑司ヶ谷の「鬼子母神堂」は、永禄4年(1561)、清土(文京区目白)の田んぼから鬼子母神像が掘り出され、これを祀るため里人が叢林を拓いて、ここにお堂を建てたのが始まりです。現在の本殿は寛文4年(1664)に広島藩主・浅野光晟の正室満姫の寄進によって造営されたと伝わっています。江戸時代から子授け、安産の御利益があるとされ、多くの参詣客でにぎわいました。 ...続きを見る

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2016/09/04 11:22
長野名所 保科観音
長野名所 保科観音  北信濃シリーズ第三弾。 上高井郡 旧保科村(現・長野市)にある「阿弥陀山清水寺」は、天平14年(742)、行基が自ら刻んだ三体の千手観音の一体をこの地に安置したのが始まりと寺伝にあり、延暦20年(801)から大同元年(806)にかけての坂上田村麿による奥州平定に際して、戦勝祈願と凱旋御礼に参詣して戦利品を奉納して、伽藍を建立したと云われております。  室町時代には八代将軍・足利義政公の帰衣を受け、三重塔をはじめとする三十余の堂宇を有する名刹でしたが、大正5年の保科村の大火によって、絵葉書の三... ...続きを見る

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2016/08/25 21:19
小布施名所 岩松院
小布施名所 岩松院  真田丸第三弾です。長野県上高井郡 旧・都住村(現・小布施町)にある「岩松院」には、戦国武将・福島正則公の霊廟があります。小布施町が設置した説明書によると、福島正則は尾張国二ツ寺村(現・愛知県あま市)に生まれ、加藤清正とともに豊臣秀吉子飼いの武将として活躍。「賤ヶ岳の七本槍」に数えられ、関ヶ原の戦いでは徳川方に味方し、安芸・備後二カ国四十九万石八千石を領する大大名となります。  現在放映中の「真田丸」のなかで、福島正則公は加藤清正とともに秀吉の側近として描かれています。大河ドラマでは秀吉が亡く... ...続きを見る

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2016/08/13 15:24
須坂名所 米子不動尊
須坂名所 米子不動尊  「真田丸」第二弾です。北信濃・須坂中心部から上信県境へ向かうと、菅平・四阿山を望む須坂市米子地区があります。この地にある「米子瀧山不動寺」は、古くから「米子のお不動さん」、「米子不動尊」とも呼ばれ、日本三大不動尊に数えられている真言密教(東密)の寺院であります。このお寺は、奈良時代の僧、行基により開山された古刹。現在の奥之院の地に瀧澤山家原院如来寺を建立し、行基自ら大日如来を刻み、本尊として安置したことに始まります。  永禄2年(1559)4月、上杉謙信公が京に上洛した際、室町幕府十三代将軍... ...続きを見る

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2016/08/12 17:16
大阪名所 真田丸
大阪名所 真田丸  大阪城南の丘陵に位置する真田山に鎮座する「三光神社」の創始は、仁徳天皇から三代後人皇十八代反正天皇の御宇と伝えられています。古来より日本全国で唯一の中風除の神として広く知られ、全国各地から参拝者が絶えないそうです。  社碑によると、「此の地はもと大阪城の出城の在りし処にして、慶長、元和の大阪合戦の頃、真田幸村、茲に陣し、本城より此の処に至るまで地下に暗道を設け、今尚其の痕跡を本殿階下に止むるより、世俗に真田山の三光と称するに至れり」といい、いま話題の「真田丸」の一部と伝えられています。 ... ...続きを見る

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2016/08/06 23:58
東京名所 溜池演伎座
東京名所 溜池演伎座  明治45年7月30日午前零時43分に、幕末・明治の日本を近代国家へと導かれた明治大帝が崩御されます。明治大帝の大葬の儀は、年号が変わった同じ年の大正元年9月13日に東京市赤坂区の青山練兵場(現・明治神宮外苑)に設けられた葬場殿において執り行われました。 △絵葉書 明治天皇御大葬儀「赤坂溜池 演伎座前」 ...続きを見る

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2016/07/30 23:22
伊豆の国名所 反射炉
伊豆の国名所 反射炉  平成27年7月、「韮山反射炉」を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録されました。静岡県伊豆の国市にある「韮山反射炉」は、幕末期の韮山代官・江川英龍(坦庵)が手がけ、後を継いだその子の英敏が完成させました。「反射炉」とは、金属を溶かし大砲を鋳造する炉で、現存するのはここだけだそうです。 ...続きを見る

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2016/07/21 19:52
富士宮名所 富士山本宮浅間大社
富士宮名所 富士山本宮浅間大社  古より噴火を繰り返す「富士山」は神が宿る山とされて、広く崇められています。鎌倉時代には修験者が修行のために入山・登拝するようになり、江戸時代に入ると富士山信仰が盛んになると、庶民も大宮・村山口登拝道から組織だって富士山を参詣するようになりました。大宮・村山口登拝道(現在の富士宮口登山道)は、富士山南西麓の富士山本宮浅間大社を起点とし、村山浅間神社(興法寺)を経て、山頂の南側へと達する登山道で、安政6年(1860年)に英国公使オールコックが外国人として最初の富士登山を行った道としても知られていま... ...続きを見る

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2016/07/18 18:11
東京名所 洲崎遊廓
東京名所 洲崎遊廓  江東区の永代通りにある東陽三丁目交差点を南へ入った一角に、かつて「洲崎遊廓」がありました。  「江東区史」によると、「洲崎遊廓は明治21年に本郷根津遊廓が移転してきたものを元々としてできたのである。…根津の遊里は水野越前守の天保13年(1842)の弾圧によって一時は全滅した。阿部伊勢守の緩和政策によって、…根津にも芸妓屋、料理屋が復活し、その勢いに乗じて慶応4年(1868)に幕府の陸軍奉行から根津に遊廓設置を許可したのである。この年、明治元年と改元せられ、明治政府は根津遊廓の廃止を目論んだが... ...続きを見る

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2016/06/19 18:23
函館名所 五稜郭
函館名所 五稜郭  北海道新幹線が開通して盛り上がっている函館ですが、今回は「五稜郭」を訪ねました。  特別史跡「五稜郭」跡は、函館開港に伴って移転した「函館奉行所」を取り囲む西洋式の土塁。蘭学者の武田斐三郎により、ヨーロッパの城郭都市を模して設計されたそうです。戊辰戦争では、旧幕府軍により占拠され、榎本武揚や土方歳三が入城し最後の抵抗が展開されました。 ...続きを見る

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2016/06/15 20:48
平泉名所 中尊寺
平泉名所 中尊寺 (おくの細道) 『予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘の古巣を払ひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神の招きにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月、先ず心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、    「草の戸も 住替る代ぞ ひなの家  芭蕉」   面八句を庵の柱に懸置く。』 ...続きを見る

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2016/05/16 19:47
盛岡名所 旧盛岡銀行
盛岡名所 旧盛岡銀行  『ようこそもりおかへ。 豊かな森に囲まれ,あふれ出る清らかな水に恵まれた盛岡。雄大な「岩手山」の裾野に広がるこの土地は,旧石器時代から人々が暮らし,生活の跡を残しています。縄文時代にはいくつもの集落が点在し,森や野原の恵みと海からの恵みが交わる交易地としてにぎわいが生まれました。 ……南部家26代南部信直が,豊臣秀吉から岩手郡を含む7郡の本領を安堵され,「盛岡藩」が誕生しました。盛岡藩の2代藩主利直の時代に城下町の建設が大きく進展します。町割りは,城の周りに二重の外堀を巡らせ,上方や江戸から迎... ...続きを見る

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2016/05/14 08:09
東京名所 市ヶ谷台
東京名所 市ヶ谷台  牛込御門(飯田橋)から赤坂御門に続く江戸城外濠は、寛永13年(1636)に三代将軍家光公の命により、東国の大名52家が分担して開削したものです。この外濠は巧みに地形を取り入れて造成されており、牛込から市ヶ谷付近は神田川から伸びる支流・谷筋を利用しています。この谷筋は元は「紅葉川」と呼ばれていたらしく、新宿区富久町に発して曙橋付近から市ヶ谷に至る川で、その下流は堰き止められて、現在外濠となっているという訳です。 ...続きを見る

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2016/05/08 20:20
島根名所 出雲大社と石見銀山
島根名所 出雲大社と石見銀山  いつかは出雲と思っていましたところ、縁あって初めて出雲大社を参拝することになりました。縁結びの神様として知られる大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)を祀る出雲大社ですが、60年ぶりに平成の大遷宮が行われ、御本殿や末社の修造も完了したところです。  一畑電車を降り立つと、「行こう。島根には本物がある。」 というポスターに出迎えられます。「旧暦十月に全国から神々が集い、あらゆる縁結びについて話し合いが行われるというご縁の国 島根」を訪ね歩きます。 ...続きを見る

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2016/05/04 10:18
姫路名所 姫路城と第十師団
姫路名所 姫路城と第十師団  山陽新幹線の「レールスター」に乗って、平成の大修理が終わったばかりの世界遺産「姫路城」に向かいました。昔はたびたび用事があって通っていましたが、すっかりJR姫路駅の駅舎と駅前広場がきれいに整備されて、別の街に来たようでした。さて今回の訪問の目的は、下の石版版画「日本百景」が残した景色を訪ね歩くことです。 ...続きを見る

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2016/05/03 00:43

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