明治・大正名所 探訪記

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zoom RSS 東京名所 金龍山浅草寺

<<   作成日時 : 2016/02/28 16:27   >>

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 「浅草寺縁起」によると、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、檜前浜成・竹成の兄弟が隅田川での漁の途中、一体の仏像を投網の中に発見し、それを郷司の土師中知が拝し、聖観世音菩薩の尊像であることを知り、自ら出家して屋敷を寺に改めます。これが「浅草寺」の草創だそうです。
 さて、明治名所探訪の旅は、いよいよ東京名所の目玉である「金龍山浅草寺」を訪ね歩きます。江戸時代は無論、明治・大正・昭和・平成と時代が移り変わっても、人気参詣先としてその地位は不動のものです。この日も訪日外国人で境内は埋め尽くされているようでした。

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△石版版画 東京名勝 「浅草 仁王門之景」(明治42年刊)
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△再建された宝蔵門(旧・仁王門)

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△石版版画 東京名勝 「浅草 観世音本堂」(明治42年刊)
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△再建された新本堂

 都内最古の寺院として明治・大正を通じて賑わった「浅草寺」でしたが、昭和20年3月10日未明の空襲により、本堂、仁王門、五重塔他が炎上してしまいました。その後、各方面からの支援により、昭和33年10月17日に新本堂が、昭和39年4月1日には宝蔵門(旧仁王門)が、昭和48年11月2日に五重塔院が落慶しています。
 冒頭の石版版画「東京名勝」シリーズ12枚中、浅草寺として二つの風景が織り込まれています。東京名所としてそれほどの人気を誇っていた訳ですが、この版画の風景は空襲により失われてしまいました。版画をみると、明治・大正期に浅草寺は「東京名所」として多くの人々で賑わったことが分かります。今と全く変わりませんね。

 最後に、明治22年発行の「日本名所図会」の記述を紹介すると、 「金龍山浅草観音は寺院の規模、宏壮で門前は煉瓦屋並びに雑貨をひさぐ店多し、後は酒楼茶亭あり、雅俗遊蕩雑沓たり、堂塔結構輪奐して、寶帷燦爛閃々として霊燈灼卓人を照し、自ら敬信を催すべし、老幼雅俗の分けなく、遊歩の賽地なり」 と。


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△境内にもようやく春到来
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△仲見世通り
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△隅田川
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△五目釜飯を食べて帰りましたよ












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