明治・大正名所 探訪記

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zoom RSS 東京名所 皇居外苑

<<   作成日時 : 2016/02/11 15:54   >>

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 明治中期になると鉄道網が整備され、人々の移動が楽になり鉄道旅客が増えていきます。とくに地方から東京を目指す人が増加しますが、その目的は様々で、東京で一旗揚げようとする者、商売をする者、青雲の志をもつ学生たち、そして東京見物する者といろいろでした。その東京見物の人々が買い求めたのが、多色刷り石版版画です。まだカラー写真の技術が広まっていない中で、貴重なお土産となった訳です。
 では当時東京で人気の場所はどこであったのか(・・? 多色刷り石版版画は、名所の風景を6枚とか10枚とか12枚、あるいは24枚と風景を組み合せセットで発売されていました。その中に必ず入っている風景が皇居二重橋です。

 江戸城は長禄元年(1457)に太田道灌によって築城されましたが、天正18年(1590)に北条氏が滅亡し、徳川家康が居城とします。明治維新後は皇居となり、昭和24年4月に西の丸およびお濠が「皇居外苑」として一般に公開され、昭和44年からは北の丸も加えられています。

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△石版版画 東京名勝「二重橋之景」(明治34年12月刊)
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 皇居前広場のお濠に架かっている橋は二つあり、手前の橋が「正門石橋」で奥の橋が「正門鉄橋」です。「二重橋」とはこの二つの橋を総称して呼んでいるそうですが、厳密には奥の橋を指すそうです。



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 「皇居前広場」は、江戸時代には老中や若年寄りなどの屋敷が立ち並び、西の丸下と呼ばれました。明治期に入ると、これらの屋敷が官庁の庁舎や兵舎などに使用されたりもしましたが、やがて撤去され「広場化」されました。明治21年に至り、皇居御造営事業の一環としてクロマツ等の植栽整備が行われ、一般の立ち入りが許されます。



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△石版版画 東京名勝「楠公銅像之景」(明治34年12月刊)
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 皇居外苑の一角に、建武新政の忠臣・楠木正成公(楠公)の銅像があります。これは、楠木正成公が正慶2年(1333)に隠岐の島から還幸途次の後醍醐帝を兵庫の道筋でお迎えした折の勇姿を現わしたものです。別子銅山開坑200年記念事業として、住友家が明治23年に献納したもので、東京美術学校に製作を依頼し、同鉱山の銅を用いて高村光雲、山田鬼斎、岡崎雪聲などにより完成しました。


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 春慶節を迎えた東京では大勢の中国からの観光客を迎えていますが、皇居も人気のスポットのようでたくさんのバスが並んで駐車しています。日本人があまり訪れなくなった半面で、中国人だけでなく欧米系の外国人の姿が多く見られ、この日は大変な賑いでしたが、楠木正成公がどういう人物なのかを理解するのは少し難しそうですね。

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△楠公レストハウスで「一汁三菜御膳」を頂きましたよ
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△三の丸尚蔵館前のウメの様子

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