東京名所 芝増上寺
前稿では「皇居二重橋」の姿を写した石版版画を紹介しましたが、東京名所として二重橋とともに必ず登場するのが、芝にあった「増上寺」です。この芝増上寺の図は江戸時代からさまざまな浮世絵に描かれたりしてきました。明治期に入ってもその人気は変わらず、多くの石版版画や絵葉書として残されています。
増上寺は浄土宗の七大本山の一つで、開山は明徳4年(1393)。浄土宗第八祖 酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれました。場所は、現在の千代田区平河町から麹町にかけての地だったようです。 室町時代から戦国時代にかけて浄土宗の東国の要として発展していきます。
△東京名所「芝増上寺」(明治31年1月刊)
家康公の江戸入府後、「増上寺」は徳川家の菩提寺となり、慶長3年(1598)に現在の芝の地へと移転します。幕府成立後には、家康公の手厚い保護を受け大きく発展します。ここ増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の六人の将軍の墓所が設けられています。
増上寺と云えば、個人的には「絵島生島事件」が思い出されます。事件は正徳4年(1714)正月12日、大奥女中の絵島らが七代将軍家継の生母・月光院の名代として寛永寺と増上寺に代参した折、帰途に木挽町の芝居小屋山村座に遊び、帰城が遅れて大奥の大スキャンダルに発展します。絵島は信州高遠に幽閉されましたが、以前、絵島屋敷を見学したことがあります。
△大殿(本堂)と東京タワー
明治22年刊の「日本名所図絵」では、 『増上寺は芝区にあり。関東浄刹の総本寺、壮大の仏域成りしも、明治十二年火災在り、本堂学寮灰塵となり』 と。
△本堂裏にある徳川家霊廟
△米国第18代大統領のグラント将軍が明治12年の来日の際に植えた「グラント松」
△芝大門の「更科布屋」で、ざるそばを頂きました。創業は寛政3年(1792)。信州の反物商の布屋萬吉が芝大門で蕎麦屋を始めたのだ!
*無断転載・複製を禁ず
増上寺は浄土宗の七大本山の一つで、開山は明徳4年(1393)。浄土宗第八祖 酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれました。場所は、現在の千代田区平河町から麹町にかけての地だったようです。 室町時代から戦国時代にかけて浄土宗の東国の要として発展していきます。
△東京名所「芝増上寺」(明治31年1月刊)
家康公の江戸入府後、「増上寺」は徳川家の菩提寺となり、慶長3年(1598)に現在の芝の地へと移転します。幕府成立後には、家康公の手厚い保護を受け大きく発展します。ここ増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の六人の将軍の墓所が設けられています。
増上寺と云えば、個人的には「絵島生島事件」が思い出されます。事件は正徳4年(1714)正月12日、大奥女中の絵島らが七代将軍家継の生母・月光院の名代として寛永寺と増上寺に代参した折、帰途に木挽町の芝居小屋山村座に遊び、帰城が遅れて大奥の大スキャンダルに発展します。絵島は信州高遠に幽閉されましたが、以前、絵島屋敷を見学したことがあります。
△大殿(本堂)と東京タワー
明治22年刊の「日本名所図絵」では、 『増上寺は芝区にあり。関東浄刹の総本寺、壮大の仏域成りしも、明治十二年火災在り、本堂学寮灰塵となり』 と。
△本堂裏にある徳川家霊廟
△米国第18代大統領のグラント将軍が明治12年の来日の際に植えた「グラント松」
△芝大門の「更科布屋」で、ざるそばを頂きました。創業は寛政3年(1792)。信州の反物商の布屋萬吉が芝大門で蕎麦屋を始めたのだ!
*無断転載・複製を禁ず








"東京名所 芝増上寺" へのコメントを書く