南魚沼名所 浦佐

 ひさびさ上越国境を越えて、新潟へ行ってきました。失礼ながら南魚沼という名にあまりピンときませんでしたが、平成16年に新潟県南魚沼郡のうち六日町と大和町の2町が合併してできた市です。先月のソチ冬季オリンピックにおいて、フリースタイルスキー女子ハーフパイプで南魚沼市出身の「小野塚彩那」選手が銅メダルを獲得し、興味をもった次第です。

 関越道の大和スマートインターを降りるとすごい雪。地元の人から言わせると今年は例年の半分程度だそうで、半分でもこれほどという感じでした。
 さて、上越新幹線・浦佐駅前を通り過ぎて、謙信ゆかりの「浦佐毘沙門堂」を目指します。浦佐毘沙門堂の正式名は「吉祥山普光寺」。浦佐毘沙門堂の歴史は古く、大同二年(807年)に坂上田村麻呂が東国平定の際に建立されたと伝わり、さらに、『承久三年(1221年)、鎌倉幕府(将軍・源実朝)が、地頭・平繁基をして毘沙門堂に堂領を献ずるとともに、僧道乗坊辯覚を天王堂(毘沙門堂)別当に任じ、浦佐川西地区に境を定め「永代殺生禁断」の令を下した。僧道乗坊辯覚はこの令を広めるため、また寺務執行のため、この地に大伽藍を建てたのが「普光寺」の創始と言われております』 とのことです。
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    △絵葉書 「越後浦佐毘沙門天 本堂」
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 千二百年前、征夷大将軍であった坂上田村麻呂が建立した毘沙門堂。それにあやかって戦国時代には上杉謙信、上杉景勝、直江兼続らも武運を祈願したと伝わっています。また毎年3月3日には、ご利益あるお礼をめぐって男衆が裸で押し合う勇壮な「裸押合大祭」も有名だそうです。この寒さの中、裸で…と思いましたが。
 山門は、170年前の天保2年に浦佐の豪商・関市四郎(酒造業他)の造営寄進によるものです。六日町の宮大工の内藤藤蔵は、日光に行き、陽明門をつぶさに調査してこの山門に着手したと言われており、総欅造り、豪雪にも耐え、耐震性もある建物で、釘を用いることなく組み立てられているそうです。


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 雪の重みに耐えるためでしょうか?つっかえ棒を施してある山門の雪の階段を上って、ムシロで構われた回廊を抜けると、不動明王が出迎えてくれました。裸押合大祭の際にはこの水槽に飛び込むという。想像しただけで風邪ひきそう。
 明治名所探訪記として明治の逸話をひとつ。時は慶応4年4月、戊辰戦争の際にこの普光寺に新政府軍の先鋒隊本営が置かれました。負傷した薩長の兵士が運び込まれて、薩摩藩士8名、長州藩士8名が亡くなり、こちらの墓地に埋葬された人もいるとか。慶応4年4月というからには未だ雪が残り、ちょうどこんな風景であったと思われます。どんな気持ちでこの山門を見上げたのでしようか。


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 雪に覆われた八海山を望む風景です。あの銘酒「八海山」はこういった素晴らしい環境から生まれてくるのですね。おいしい訳です。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という川端康成の「雪国」の舞台と云われている上越国境。そんな風景を堪能してきました。

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   △南魚沼初のオリンピックメダリスト小野塚さん、銅メダルおめでとう!









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