明治・大正名所 探訪記

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zoom RSS 長野名所 川中島古戦場

<<   作成日時 : 2015/02/24 07:31   >>

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 甲越の両雄が激突した地「川中島古戦場」。今週は北信濃の冬を楽しんできました。
 「川中島の戦い」は、甲州の武田信玄と越後の上杉謙信が北信濃の覇権を争った戦いで、五度にわたる合戦の中で両雄が直接一騎討ちしたと伝えられるのが、永禄4年(1561)の四度目の戦い。乱戦の中、武田本陣が手薄になった一瞬を狙い、謙信が只一騎で信玄目がけて駆け寄って太刀を振り下ろしたところを信玄が軍配で受け止めたという。八幡原史跡公園として整備されている「川中島古戦場」では、大河ドラマ「風林火山」のあの名シーンが思い出されますね。
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△絵葉書 川中島古戦場 八幡原
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 信越本線は明治26年4月1日、最後の難関「横川駅 - 軽井沢駅」間が完成し、東京方面から長野駅まで全通します。地元から名勝・川中島古戦場へのアクセス駅設置の要望が高まり、大正6年7月20日に「川中島駅」が設けられます。これにより来訪者が増加したようです。
 川中島古戦場が整備されたのは、嘉仁親王殿下(大正天皇)が明治35年5月22日に行啓されたことがきっかけになった云われています。
  信玄と謙信が直接激突した「川中島の戦い」は、江戸時代になってから、数多くの書物に描かれましが、とくに第四回目の激戦の様子を描いた『甲陽軍鑑』は、武田流の軍学書として武士の間で広く読まれ、多くの人が訪れてみたいと思った筈です。当然明治・大正の人たちにも読まれていた訳で、訪れた人たちはお土産として冒頭の絵葉書を買って帰りました。
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△絵葉書 川中島古戦場 甲越直戦地記念碑

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三太刀七太刀之跡/永禄四年九月十日、ここ八幡原を中心に上杉、武田両軍三万余の壮絶な死闘が展開された。上杉謙信は紺糸縅の鎧に萌黄緞子の胴肩衣、金の星兜に立烏帽子白妙の練絹で行人包、長光の太刀を抜き放ち、名馬放生に跨り戦況の進展に注目、乱戦で武田本陣が手薄になったのをみ、旗本数騎をつれ信玄の本営を強襲した。この時の武田信玄は諏訪法性の兜、黒糸縅の兜の上に緋の法被、軍配を右手に持ち、この地で崩れかかる諸隊を激励指揮していた。この信玄めがけて謙信は只一騎、隼のごとく駆け寄りざま、馬上より流星一閃、信玄は軍配で受けたが、続く二の太刀で腕を、三の太刀で肩に傷を負った。のちにこの軍配を調べたところ刀の跡が七か所もあったといわれ、この一騎打ちの跡を世に「三太刀七太刀の跡」という。
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△NHK大河ドラマ「天と地と」の放映を記念して建立された「信玄・謙信一騎討ちの像」

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△武田軍が本陣を構えた海津城

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△松代の真田邸、来年の大河ドラマは期待できそう(・・?

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△寒いので山田温泉の松川渓谷沿いの露天風呂へ

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△翌日は大雪、雪の善光寺を参拝

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