名古屋名所 八事電車

 明治45年、尾張電気軌道㈱が名古屋東郊・飯田街道(植田街道とも平針街道とも)に路面電車を走らせました。通称「八事電車」と呼ばれていました。
 当初の運転区間は、千早~大久手~塩付(安田通)~伊勝通~妙見口(山中)~池ノ端(隼人池)~八事(興正寺)まで。大正元年には現在の八事交差点(電停名は「天道」)まで延伸されます。
画像

 △明治45年 尾張電気軌道「沿線名所案内」

 尾張電気軌道㈱は、集客のため次々と新たなアイデアを打ち出します。
 そのひとつはCМソング。『八事へ電車で行くわいな。一区1銭、二区2銭。往復切符は13銭』
 さらに、終点・八事付近に大型集客施設である「八事球場」と「八事遊園地」を建設します。


 さて「八事遊園地」は、大正元年に尾張電気軌道㈱が自ら造った遊園地です。
 もともと八事一帯は江戸のむかしより「山遊び」の名所であったようです。「天白村誌」によると、「八事天道の高照寺の南門を出た辺り、今は人家建ちこめて天道部落となったが、もと此の辺りの山から八事表山の善光寺(八事善光寺のこと)山一面にかけて躑躅(つつじ)の花が咲く、その頃ともなれば名古屋人が唯一の行楽の地として酒肴を携行し、春興を楽しんだもの」だそうです。
画像

 △明治23年 尾張名所図絵「天道山春遊之景」
   (名古屋市天白区八事天道)

 なお、八事天道山山頂には、明治期に名古屋で源氏物語を人々に講じて「源語会」を設立した、国文学者・粟田廣治先生の顕彰碑が今も残されています。探して見てはいかがでしょうか。
画像

 △明治45年 「沿線名所案内」より「源語会記念碑」
  (名古屋市天白区八事天道)
画像

 △今は住宅に囲まれてしまいました
画像


 このように名古屋人にとっては八事一帯は行楽地でありましたから、「八事電車」の開通に併せて開園した「八事遊園地」は大人気となります。
 遊園地には、大きな池の周りにいろいろな施設が配置され、ポート乗り場を始め、競馬場、猿園、ブランコ、滑り台などができ、売店では八事名物として蕎麦饅頭、湯豆腐、竹と紙で作った「八事の蝶」が売られていたようです。そういえば最近、「八事の蝶」を小学校で作る授業が行われているとか。尾張電気軌道㈱は温泉場の建設も予定しましたが、結局取り止めになったようです。
 その後、名古屋市によって東山動物園が開園した影響で客足は遠のき、昭和12年に閉園してしまいます。
画像

 △明治45年 「沿線名所案内」より「建設中ノ本社遊園地」
   (名古屋市瑞穂区茨木町~天白区表山三丁目)

 現在、遊園地のあった池は埋め立てられてテニスコートや社宅、住宅などになっています。その面影は全く見当たりませんが、住宅地の真ん中にぽつりとある「八事下池公園」という名前にその名をとどめています。
画像

画像

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 15

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた 驚いた 驚いた
面白い 面白い 面白い 面白い

この記事へのコメント

在御器所村
2016年05月26日 23:39
随分前の記事に反応して申し訳ございません。
八事遊園地のことを調べていて、このページにたどり着きました。視野が広く資料が集められていて、現地も確認されていて内容が極めて適切に感じられました。
 私的には尾張電気軌道が遊園地として実際どの場所に何を作ったのか知りたいところです。
つきましては掲載の明治45年 尾張電気軌道「沿線名所案内」は名古屋附近の図書館には無いようなので、何らかの方法で見せていただけないかと思ったところです。
一方的なお願いですがよろしくお願いします。

この記事へのトラックバック