明治・大正名所 探訪記

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zoom RSS 東京名所 染井 伊藤躑躅園

<<   作成日時 : 2017/04/26 18:44   >>

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 豊島区駒込地区は、江戸時代に園芸の里として発達し、染井通り一帯は植木屋が集まって住んでいた地域でありました。また染井村は花の名所として都びとに知られた存在で、一瓢を肩にかけて遊ぶ者が多かったと云います。江戸初期、津藩・藤堂家の下屋敷に仕えていた初代・伊藤伊兵衛が殿様の摘んで捨てた草木を拾って培養し、植木屋を始めたのが最初とされ、明暦2年(1656)に薩摩から運ばれた「キリシマツツジ」の栽培に成功し、「ツツジは染井」、「キリシマ伊兵衛」と呼ばれるまでになります。
 ここ染井村周辺には、柳沢家下屋敷(現・六義園)、藤堂家・建部家下屋敷(現・染井霊園)、前田家下屋敷(板橋区加賀町)などがあり、植木屋の需要が高かったのが園芸が盛んになった要因なのだそうです。享保12年(1727)、伊藤伊兵衛政武の代には、八代将軍吉宗が伊兵衛の芸戸園(植木園)を訪れて、キリシマツツジなど二十九種の草木を買い求めたという記録が残されているとのこと。

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△絵葉書 「染井 伊藤躑躅園 庭園 其の二」
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△駒込にある「六義園」では、つつじ祭り開催中(側用人・柳沢吉保の別邸跡)
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△六義園 藤代峠のツツジ
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△六義園にあるツツジの名木「八重霧島」



 さて、冒頭の絵葉書は明治末から昭和初期にかけて駒込染井にあった「伊藤躑躅園」の園内の様子です。
 この「伊藤躑躅園」を経営していたのは、伊藤伊兵衛の子孫の伊藤金兵衛で、明治期以降も染井あたりでは丹羽家、今井家、伊藤家の三家が手広く植木屋をやっていたようです。この「伊藤躑躅園」について、『染井稲荷のそばに、伊藤つつじ園というのがあった。入園料五銭をとって、つつじと湯滝を見せていた』(豊島の歳時記)と伝えられています。「湯滝」とは湯を滝のように流して岩風呂のようにしたものらしく、子供たちがその中で水遊びをしていたそうです。園内には赤い縁台が設けられて、入園者はツツジなどを見ながら、経木の皿に盛られたおでんや相馬焼の皿に入れられたお煮しめやお酒・お茶などを食したとのことです。ツツジの季節には、多くの花見客で賑わったそうです。

 さて、「伊藤躑躅園」があった場所の特定は住宅地となってしまった現状では大変に難しいのですが、明治終わりごろの古地図をみてみますと、どうも現在の駒込小学校とその北側辺りに池や川などが描かれていることから、ここら辺であったと思われます。冒頭の絵葉書にも川が写し出されていますし(?_?)。
 また、駒込小学校の南側に整備された公園「門と蔵のある広場」には、植木屋をしていた旧丹羽家の門や蔵が残されていましたが、その立派さからすると、「伊藤躑躅園」の壮大さも想像できます。

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△駒込小学校の横の「門と蔵のある広場」に残る植木屋・旧丹羽家の腕木門
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△同じく「門と蔵のある広場」に残る植木屋・旧丹羽家の住宅蔵

豊島区ホームページより/旧丹羽家の蔵は、江戸時代から明治後期まで染井を代表する植木職人として活躍した丹羽家の八代目茂右衛門が、昭和11年、九代目の結婚の際にもともと木造土蔵造りだった蔵を鉄筋コンクリート造りに建て直したものです。築後70年以上が経過していますが保存状態は良く、昭和初期の建築当時の姿を残していることから、平成19年12月に国の登録有形文化財建造物として登録されました。 門は、腕木と呼ばれる梁で屋根を支える腕木門と呼ばれる形式です。正確な建築年代は不明ですが、修理の記録等から江戸時代後期に建てられたものと推定されています。現在も植木の里・駒込の歴史を物語るシンボル的存在として地域の方々に親しまれています。平成19年8月に豊島区指定有形文化財となりました。

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△染井稲荷神社

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△駒込駅近くの千鳥屋総本家の名菓「千鳥饅頭」を買って帰路へ


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