明治・大正名所 探訪記

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zoom RSS 東京名所 芝東照宮 霊廟

<<   作成日時 : 2017/02/04 16:59   >>

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 明治40年に印刷された石版画ですが、タイトルが「芝 東照宮 霊廟」とあります。
 「芝東照宮」のホームページによると、『当初、増上寺内境内に勧請された。増上寺は天正18年(1590)、家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められた。当時は日比谷にあったが、慶長3年(1598)、江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転した。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持った。この増上寺境内の家康公を祀る廟は、一般に安国殿と称された。これは家康公の法名「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」によるものである。……… 安国殿は明治初期の神仏分離のため、増上寺から分かれて東照宮を称し、御神像を本殿に安置・奉斎した。明治6年には郷社に列し、社殿は寛永18年の造替当時のものが維持されていたが、昭和20年5月25日の戦災により、御神像の寿像と天然記念物の公孫樹を除いて社殿悉く焼失した。』

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△東京名勝 「芝 東照宮 霊廟」(明治40年刊)

 さて、石版画に描かれている徳川家の霊廟の門についてですが、現在、「増上寺」に埋葬されているのは、二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の6人の将軍です。石版画に描かれている霊廟がどの将軍のものなのか特定は難しいのですが、どうも七代将軍徳川家継(法号:有章院)の霊廟である「有章院霊廟」の勅額門のようです。増上寺の北側に設けられていました。戦前は東京を代表する観光地として知られていましたが、東京大空襲で焼失しています。

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△台徳院霊廟 惣門

 一方、第二代将軍徳川秀忠(法号:台徳院)の霊廟は、寛永9年(1632)に増上寺伽藍の南隣に造営されましたが、この「台徳院霊廟」は昭和20年5月25日の東京大空襲で大半は焼失。奇跡的にも霊廟の正面にあった「惣門」は焼け残り、昭和34年に当初の位置から東方58mの現位置に移されて、大切に保存されています。

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△芝公園
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△芝東照宮






   


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