明治・大正名所 探訪記

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<<   作成日時 : 2016/11/30 08:29   >>

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「空も港も夜は晴れて 月に数ます船のかげ 端艇(はしけ)の通い賑やかに 寄せ来る波も黄金なり…」 

 唱歌「港」の一節ですが、昨年頃、NHK朝のラジオを聞いていましたら、唱歌「港」は広島・宇品港の賑わいを歌ったものだと。その瞬間、一枚の多色刷り石版版画を思い出しました。それは、明治28年に発行された「安芸土産 厳島名所図絵 十二葉」の一枚、「宇品港之真景」です。ずっと不思議な光景だと思っていましたところ、このラジオをキッカケに、当時日本一の賑わいをみせた広島・宇品港の姿であったことが分かりました。
 そこで今回は私の聖地巡礼、広島・宇品港を訪ねる旅です。厳島神社が鎮座する「宮島」から高速船で広島港(宇品)を目指すと、20分ほどで「広島港宇品旅客ターミナル」に着船します。そこから東へ少し歩くと、宇品島と陸を結ぶ「あかつき橋」(旧・眼鏡橋)がかかっていますが、そこから東を望むと、多色刷り石版版画「宇品港之真景」と同じ風景が目に入ってきます。

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△明治石版版画「宇品港之真景」(明治28年刊)/分かりにくいですが、護岸と倉庫の間に銃剣を掲げた兵士がたくさん並んでいるが見え、まさにこれから輸送船へ乗り込むところ
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△あかつき橋(旧・眼鏡橋)から見た宇品港
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△眼鏡橋の架橋記念碑(明治26年)
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△広島港宇品旅客ターミナル



 さて、あかつき橋からさらに版画の風景を探りに東へ向かいますと、護岸が続く先に、「宇品波止場公園」が見えてきますが、ここが当時の「陸軍桟橋」の跡で、現在は公園として整備されており、陸軍桟橋跡などが遺跡として残されています。
 山川出版社「日本史B用語集」によると、「日清戦争は、朝鮮の支配権をめぐる日清両国の衝突。甲午農民戦争を契機に、日本の朝鮮政府改革要求が拒否されて明治27年8月1日に宣戦布告。大本営を広島に置く。」とありますが、日清戦争開戦に際して、明治政府は広島を軍の拠点に選びます。なぜ広島(・・?、と不思議に感ずる人がいると思いますが、当時の通信設備は貧弱であり、軍の指揮を執るためには、より戦地に近いところが選ばれ、旧広島城内に「広島大本営」が置かれたということです。

 さらに、開戦直前、現在の山陽本線は神戸を起点として広島駅までしか開通しておらず、大陸へ派遣される兵員や物資は、まず東海道本線で神戸まで運ばれ、そこで山陽本線へ乗り換えて広島駅まで行き、さらに支線の宇品線で広島・宇品港へ降り立ちました。こうした経緯によって、宇品港は全国各地から多くの兵員が送り込まれ、大変な賑わいであったと云います。統計によると、17万人が国外に出征したそうですが、その大半が宇品港から輸送船に乗せられて大陸に渡っていきました。

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宇品波止場公園
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陸軍桟橋跡記念歌碑(宇品波止場公園)

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六管桟橋の石積み(説明書き/宇品波止場公園)/明治22年に築港された宇品港は、日清戦争を契機に、昭和20年まで主に旧陸軍の軍用港として使用されましたが、その中心的役割を果たしたのが、明治35年に軍用桟橋として建設された六管桟橋です。

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宇品線モニュメント(説明書き/宇品波止場公園)/宇品線は、宇品港が軍用港としてクローズアップされた日清戦争時の明治27年に、山陽本線完成に併せて施設された旧陸軍の軍事輸送専用線で、明治39年3月制定の鉄道国有化法により国鉄に移管されたものです。広島-宇品間5.9`を着工からわずか16日間で完成。さらに起点の広島駅には軍用列車の引込線が整備され、終点の宇品駅には陸軍運輸部宇品支部が設けられました。

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唱歌「港」の歌碑(説明書き/宇品中央公園)/私達が小学校時代を連想するごとに、口ずさまれる国民唱歌の一つに「空も港も夜は晴れて……」の懐かしいメロディーがあります。しかし、この歌がいつ、どこで、だれによって作られたものか忘れられ、いうなれば流浪の歌の運命をたどっていました。ところが、昭和48年8月、全日本海員組合の宮城伸三氏が前任地博多から広島に赴任され、ある日、宇品の居酒屋で、たまたま同席した一老人から、この歌は宇品を歌ったものであることを聞かされました。…… いろいろ調査研究の結果、作詞は旗野十一郎氏、作曲は吉田信太氏、場所は宇品暁橋(通称めがね橋)であることを確かめました。

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広島陸軍糧秣支廠倉庫の壁(説明書き/宇品中央公園近く)/陸軍糧秣支廠は、戦時において必要な兵隊の食料や軍馬の飼料の調達、補給するために設置されました。明治27年に日清戦争が始まると、当時山陽鉄道の西端であった広島駅と、ここ宇品を結ぶ軍用鉄道を二週間あまりの突貫工事により完成させ、宇品港は第二次世界大戦が終結するまで陸軍の海外への輸送基地となりました。この倉庫は、明治43年頃、軍需物資を補完するため、宇品駅のプラットフォームに沿ってレンガ造りで建てられました。

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明治二十七八年戦役広島大本営の碑(説明書き/広島城内)/明治27年8月に日清両国に戦端が開かれたのち、それまで山陽鉄道が開通していたことや宇品港を擁するといった諸条件により、同年9月広島市に大本営が移されることとなり、広島城内にあった第五師団司令部の建物が明治天皇の行在所とされ、ここに大本営が設けられた。明治天皇の広島滞在は、同年9月15日から翌年の4月27日までの7か月あまりに及んだ。その後、建物は広島大本営跡として保存されたが、原爆により倒壊し、今は基礎石のみの残されている。



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△明治石版版画「廣島ステーション」(明治28年刊)
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△JR広島駅

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△広島焼き、と言ったら、お好み焼き、と修正された。

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△オメデトウ


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