明治・大正名所 探訪記

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zoom RSS 埼玉名所 吉見百穴と巌窟ホテル

<<   作成日時 : 2016/11/17 20:38   >>

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 考えてみると、本ブログでは初の埼玉訪問です。偶然、埼玉県比企郡吉見町にある「吉見百穴」の存在を知って訪ねてみることにしました。そういえば日本史の教科書に載っていたよなー ということで思い出しましたので、ナビタイムで検索してみますと、東京から意外に近いということが判明。さっそく身支度を整えて出かけてみます。
 「吉見百穴(よしみひゃくけつ)」は、今から約1300年前の古墳時代末期(6世紀末〜7世紀末)の横穴墓群で、江戸時代より不思議な穴として知られていたとか…。ここに光があたったのが、明治20年、当時帝大の大学院生であった坪井正五郎氏によって大発掘調査が行われ、人骨、玉類、金属器、土器などが次々出土してからでした。その後の研究で横穴墓であることが判明し、大正12年3月に国の史跡に指定されました。現在219個の穴が確認されています。
 帰宅後調べると、愛蔵書の山川出版社・日本史B用語集には、「横穴墓:山腹や台地の縁辺に穴を掘って墓室を構築。埼玉県比企郡の吉見百穴は横穴墓の群集墳」とありました。
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△絵葉書 (内務省指定)埼玉県 吉見百穴 全景(戦前)
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△斜面に階段が付いていて登頂可




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 さて健康のため、東武・東松山駅へ向かって歩いて戻ると、「百穴」につづく岩山の岩肌に不思議な穴が空いています。目の前の茶店「巌窟売店」で、うどんをすすりながらお店の人に話を聞くと、先々代がやっていた「巌窟ホテル」という施設とのことです。
 おじいさんが明治期末から大正期にかけて自ら掘った(ホッタ)巌窟で、ホテルではない(・・? とのこと。しかし店内には昔入り口にかかっていた堂々の「巌窟ホテル」の看板もあったりして、不思議な施設です。昭和50-60年ころまでは営業?していて、巌窟の中にも入れたそうです。 
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△往時の巌窟ホテルの様子(岩肌を白く塗って不思議な古代的文様がペイントされていたとのこと)
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△いま白いペイントはわずかに確認できる程度、落盤のため現在は立入禁止!
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△売店内に往時の「巌窟ホテル高壮館」という看板。「人工名所」ともあり
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△うどんは本当に手打ちうどんでしたよ。毎日打ってるとか 
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△巌窟売店(青い屋根)と巌窟ホテル(右)の全景(土手に、「百」と「穴」の赤い文字が…)


*無断転載・複製を禁ず







  





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