明治・大正名所 探訪記

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zoom RSS 東京名所 本門寺と池上温泉

<<   作成日時 : 2016/11/05 17:38   >>

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 JR蒲田駅で東急池上線に乗り換えて、池上駅で下車すると、駅前は日蓮宗の大本山「池上本門寺」の参道です。日蓮宗の祖・日蓮聖人は弘安5年(1282)10月13日、郷主・池上宗仲の邸で入滅します。日蓮の亡くなったのち、池上宗仲は屋敷を寄進して寺院とし、「本門寺」が創建されます。関東有数の巨刹で、全国の末寺は二百寺を数えたと云います。
 
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△日本名所図絵「池上本門寺」 明治22年刊

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 冒頭の「総門」は、元禄3年(1690)に建造された素木欅造りで高さ6.4b。ここに掲げられている「扁額」は本阿弥光悦の書であるが、現在は複製されたものに取り替えられているそうです。また総門の奥に続く石段は戦国武将・加藤清正公によって造営されたもので、96段あって結構きつかったですよ。



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△国の重要文化財の「五重塔」/慶長12年(1607)に二代将軍・秀忠公の乳母により、秀忠の病気平癒のお礼として建立されたもの、高さ31.8b
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△区立の展望台が整備されていて眺めはバツグン。紅葉はほんのちょっと



 さて、最近知った気になっている施設があり、またまた探訪魂がふつふつと沸いて、本門寺参拝とあわせて旧跡を訪ねてみました。それは通称「池上温泉」と呼ばれていた施設でしたが、本門寺近くの池上図書館で詳しく調べるみると、ようやくその施設の資料に辿り着くことができました。
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△絵葉書 東京 池上温泉 大梅園(明ぼの樓 庭内の真景)

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△明保乃梅林


 昭和7年に発行された「池上町史」によると、「池上温泉」の正式名称は「明保乃樓」(あけぼのろう)であったと云います。 『明保乃樓は、梅の名所として関東随一である。堤方九七七番地にあり。明治19年の設立で設立者は河野定成氏である。敷地坪数二千三百四十坪にして、内建坪二百五十坪である。家屋は十二棟に別れている。梅は明保乃樓の広大なる庭園にある。数百年来、人工を尽くして育てて上げたものであって、何よりもその姿態の優艶なること、花の鮮やかなること誠に美の殿堂を思はしむるものがある。遠く将軍家光公御寵愛の梅の木は今尚、慄然としてその麗枝を張り、齢を保っている。庭内の総株数おおよそ四百五十株、三百年の年月を経たるも稀らしくはない。種類は二十種もあり、早春の候となれば各その研を尽くし美を傾けて咲き揃う盛観は、又とない此の世の悦樂の境地で、樓にあって酒杯を傾けつつ望む時、終日も尚一瞬の感がある。馥郁たる芳香まさに千年の齢を含んで、酒間に訪ねるる絶勝地である』 

 この明保乃樓は池上本門寺の東南あたり、大田区池上一丁目にある大森めぐみ教会や妙雲寺などの一帯にあり、その痕跡が少しばかり残ってました。
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△妙雲寺に設置された看板
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△絵葉書 「東京池上湯治場 大梅園 曙樓」
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△「めぐみ坂」(旧あけぼの坂)
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△明保乃樓のレンガ外塀の一部か?


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△さて帰りに、元祖・久寿餅を頂き一服して、池上駅へ向かうと


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△昭和7年の池上電気鉄道の池上駅前
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△おお、当時の雰囲気が残ってましたよ

 最後に池上町の地勢をご紹介すると、池上町史には、「本町は荏原郡の中央部よりやや南に位し、東は馬込町、入新手井町、大森町に隣し、西は東調布町、玉川村、碑衾町(ひぶすままち)に接し、南は蒲田町、矢口町に堺し、北は馬込町に連なる東西一里十九町、南北二十四町、面積六百二十四町九反余、地勢は概ね平坦なれでも西北及び東方北寄りの地はやや丘陵をなせり。吞川は本町の西北部より町の中央部を貫流し、千束流や六郷用水を合せ、羽田町大森町を経て海に入る。」と記されています。


*無断転載・複製を禁ず






   

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