明治・大正名所 探訪記

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zoom RSS 東京名所 玉川遊園地

<<   作成日時 : 2016/09/10 17:47   >>

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 明治29年、世田谷区内で同時に2つの鉄道敷設の出願が出されます。ひとつは「玉川砂利電気鉄道」であり、もうひとつは「玉川電気鉄道」でしたが、その後、双方の計画はまとまり、明治36年10月に「玉川電気鉄道株式会社」が誕生します。資本金は40万円で、麹町区内幸町に本社を置きます。そして明治40年3月にまず道玄坂上〜三軒茶屋間が開通。続いて同年4月には三軒茶屋〜玉川(現・二子玉川)間が、さらに8月には道玄坂上〜渋谷間の全線が開通します。渋谷〜玉川間の全線開通によって、旅客が飛躍的に伸び、それを機に本社を中渋谷へ移しました。
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△絵葉書 「玉川名所」 遊園地 (戦前)
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 さて、この玉川電気鉄道が集客施設として設けたのが、「玉川遊園地」です。場所は「瀬田玉川神社」の境内の南側で、現在は身延山関東別院がある一帯だそうです。
 世田谷区立郷土資料館編の冊子「玉電」によると、開園は明治42年で、現在の遊園地の概念とは違って庭園を中心とした遊園地でありました。園内は、滝や蓮池、小川、藤棚、ブランコ、滑り台などが配置され、猿やクジャク、馬、鹿などが飼育されていたそうです。
 冒頭の絵葉書は園内に設置された「玉川閣」と呼ばれた建物で、ブラタモリでも採り上げられた「国分寺崖線」の傾斜地に設けられていたため、眺望は抜群で、遠く富士山を背景に中耕地の田んぼや多摩川の流れが望めたそうです。建物は大正博覧会で使用された京都清水寺を模した建物を移築したもので、百畳敷きの宴会場があり芝居や浪曲など演芸会が開かれました。ちなみに木戸銭は十銭から十五銭だとか。ここで少し疑問なのは、大正博覧会は大正3年に上野公園等で開催された国内博ですので、開園後、あとから「玉川閣」の建物が出来たということです。玉川電気鉄道ではアクセス駅として、瀬田と玉川(現・二子玉川)間に、「遊園地前」という停留所を設けています。
 ところで、ある一定の年齢の方たちには、「二子玉川園」が想い出されるとこでしょうが、こちらは大正11年に設置された「玉川第二遊園地」の方で、先の玉川閣は戦時中に取り壊されてしまったようです。


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△瀬田玉川神社/永禄年間(1558-1570)の創建で、明治41年に御嶽神社から瀬田玉川神社へ改称

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△大山街道/大山詣りの道で、赤坂御門を起点として二子玉川で多摩川を渡り、伊勢原まで続く。街道はこの「治大夫橋」を経由していた。

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△多摩川で何を釣っているのでしょうか? 明治・大正期には鮎が名物でした。

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△という訳で、二子玉川商店街にあった「鮎涼ラーメン」を頂きました。旨かった。

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△二子玉川駅の前は今日も混雑してました。


*無断転載・複製を禁ず







  



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