明治・大正名所 探訪記

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zoom RSS 須坂名所 米子不動尊

<<   作成日時 : 2016/08/12 17:16   >>

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 「真田丸」第二弾です。北信濃・須坂中心部から上信県境へ向かうと、菅平・四阿山を望む須坂市米子地区があります。この地にある「米子瀧山不動寺」は、古くから「米子のお不動さん」、「米子不動尊」とも呼ばれ、日本三大不動尊に数えられている真言密教(東密)の寺院であります。このお寺は、奈良時代の僧、行基により開山された古刹。現在の奥之院の地に瀧澤山家原院如来寺を建立し、行基自ら大日如来を刻み、本尊として安置したことに始まります。
 永禄2年(1559)4月、上杉謙信公が京に上洛した際、室町幕府十三代将軍・足利義輝公より、弘法大師空海が一刀三礼によって刻んだ不動明王を謙信公が拝領しますが、この不動明王は謙信公の護持仏となります。その後、永禄4年(1561)9月、川中島第四次合戦の際、本陣に祀り、謙信公自ら戦勝祈願の護摩を厳修したと伝えられ、上越への帰途の折、重臣・柿崎景家、甘糟景持、直江実綱の手により、当寺の奥之院に不動明王を本尊として安置されます。その後、寺号を「米子瀧山威徳院不動寺」と改め、現在に至るという訳です。本尊不動明王立像は秘仏で、毎年5月1日(春季大祭)の時のみ御開帳されるとのこと。明治・大正期にも、本尊・不動明王の霊験を求めて、全国各地から善男善女の参詣者で賑わいを見せました。
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△絵葉書 (信州米子名勝)「瀧山不動尊 御里宮」(戦前)
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 さて、当山には、松代藩・第六代藩主・真田伊豆守幸弘(武請大明神)の肖像画が寺宝として伝えられており、さらに住職さんは真田信繁(幸村)=仙台真田家の末裔、そし住職の奥様が松代藩・第三代藩主眞田幸道の直系で話題となっていて、真田六連銭を寺紋としており、北信濃の奥地にも「真田丸」ブームが到来しています。
 さらに、NHK「真田丸」のオープニングに使用されている双子の滝は、「米子瀧山不動寺」の奥之宮のさらに奥に位置する「米子大瀑布」が使用されているところです。
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△「三谷幸喜」の文字の左右に流れ落ちる滝が「米子大瀑布」。滝の上にある城郭はCGでの合成です。


 「米子大瀑布」は長野県須坂市米子地区にあり、四阿火山カルデラの断崖から流れ落ちる双子の滝で、右が「不動滝」と呼ばれ、左が「権現滝」と呼ばれています。日本の滝百選に選ばれており、米子川の源流部で、落差はそれぞれ85b、80bです。
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△絵葉書 (信州米子名勝)「瀧山不動尊 奥之院全景」(戦前)

 米子不動尊近くの駐車場から米子大瀑布まで歩いて小一時間。あいにく当日は猛暑に襲われ、体力的にそこに到達することが無理そうなので、滝を見に行くことは断念し、里宮より四阿山を遠望し撮影して帰りました。

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△米子川を利用した小水力も躍動中


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