明治・大正名所 探訪記

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zoom RSS 東京名所 高輪泉岳寺

<<   作成日時 : 2015/12/27 15:17   >>

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 『時に元禄15年(1702)12月14日、 江戸の夜風をふるわせて 響くは山鹿流儀の陣太鼓、 しかも一打ち二打ち三流れ、 思わずハッと立上り、 耳を澄ませて太鼓を数え、 おう、 まさしく赤穂浪士の討ち入りじゃ…』
 という訳で、BS放送で「忠臣蔵」が流されていたので、12月に入ったら訪ねよう訪ねようと考えていました。とうとう年末になってしまいしたが、ようやく義士が埋葬された高輪泉岳寺を訪ねることが出来ました。こんな年末の忙しい時に訪ねる人もいないだろうと勝手に思っていましたら、結構人がいて人気の高さを思い知らされました。
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△石版 東京名所 「泉岳寺 義士墓乃景」(明治29年刊)
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 泉岳寺は曹洞宗のお寺で、慶長17年(1612)に門庵宗関和尚(今川義元の孫)を拝請して家康が外桜田 (現警視庁の近く)に創立しました。しかし寛永18年(1641)の大火によって焼失し、高輪に移転してきました。その際に、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に普請を命じた関係で、 播州浅野家と泉岳寺の関係が始まったとのことでした。
 さて翌12月15日、 赤穂浪士四十七士が本所吉良邸に押し入って本懐を遂げたのち、約10キロの道のりを歩き、亡き主君が眠る泉岳寺を目指し首級を掲げながら引き揚げてきます。ここ泉岳寺境内には討ち入りに関したいろいろなものが残されています。
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△義士墓入口の門/浅野家の鉄砲洲上屋敷の裏門を明治時代に移築した。
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△首洗い井戸/義士が本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告した。
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△血染の石、血染の梅/浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に血がかかったと云われ、のちに泉岳寺に移された。
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△義士木像館(左手の建物)/大正14年(1925年)に建てられ、2階には義士木像が収められている。


 さて、明治期の泉岳寺を知りたいと思っていたところ、境内にその様子が記されていました。  『明治初期には廃仏毀釈の余波を受けて、やや荒廃を余儀なくされたが、当寺四〇世園頓霊厳和尚の地道な努力と創意工夫とによって本堂、庫院を恢興し、また煉瓦造りの義士宝物館を創設し、既存の…義士像を展示する木像堂と共にこれらを公開することによって広く衆望を集めて寺運の再興を果たし……』 とあり、どうも宝物館等の整備をきっかけに東京名所となっていったようです。

 泉岳寺参拝の後は、都内に残る赤穂義士の名所を巡って帰ることにしましたが、疲れましたよ。


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△大石内蔵助 自刃の地(都営高輪一丁目AP近く)
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△浅野内匠頭 終焉の地(新虎通りと日比谷通りの交差点近く)
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△義士洗足の井戸(日本消防会館内)
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△松の大廊下跡(皇居東御苑内)
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△江戸城天守閣跡から本丸御殿跡を望む(右奥が松の廊下)

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