明治・大正名所 探訪記

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<<   作成日時 : 2015/12/12 20:21   >>

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 新潟県寺泊は西廻り海運の港として、また北陸街道の宿場町として繁栄した町です。平成18年に長岡市と合併しています。佐渡島と本土とは寺泊が最短距離にあり、佐渡との間を佐渡汽船が定期航路を運航しています。
 寺泊の歴史としては、弘仁13年(822)、寺泊にあった国分寺の尼法光が、往来の旅人の難儀を救うために布施屋(無料宿泊所)を設けて渡船2隻を置いた、と伝わっています。寺泊には古くから多くの寺院があって、鎌倉時代から寺泊と呼ばれるようになったと云われているそうで、寺泊は別名「日本海の鎌倉」とも云われてます。
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△絵葉書 (寺泊名勝)「順徳天皇行宮御遺蹟」
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△「順徳院天皇御駐蹕遺蹟」の碑
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 寺泊の中心部の北陸街道沿いに「聚感園」と呼ばれている庭園がありますが、長岡市ホームページによると、「ここは、北越地方の豪族・五十嵐氏の邸宅跡を史跡公園にしたものです。五十嵐氏は、大同元年(806)先祖忠利が姓を賜り常陸守に任ぜられ、三代佐衛門尉利忠の時、越後守として当国へ赴任せられたといわれます。菊屋と称し、佐渡へ配流となった都の貴人をはじめ、文人墨客との交流を代々続けてきました。順徳院、源義経主従、中納言藤原為兼、江戸時代の漢学者・亀田鵬斎など、その顔ぶれは多彩です。またここには佐渡へ遷御された順徳上皇が、風待ちのためしばらくご滞留になられた際の行在所跡があります。」とのことで、冒頭の絵葉書にあるように祠が建てられていました。
 鎌倉幕府転覆をはかった承久の変(1221年)に失敗して、北条義時によって佐渡に流された順徳上皇は、46才で亡くなるまでの22年間を佐渡で過ごされました。


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△寺泊の街を貫く旧北陸街道
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△寺泊港
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△観光客で賑わっていた寺泊の新名所「魚の市場通り」
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△懐かしい新巻きサケ。新年を迎える準備が進んでいました。
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△半身の特製蟹ラーメンでしてたが、おいしかったですよ。











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