明治・大正名所 探訪記

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zoom RSS 長崎名所 丸山遊廓

<<   作成日時 : 2015/11/18 19:22   >>

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 寛永19年(1642)、長崎市中に散らばっていた遊里が丸山町とその隣接する寄合町に集められ、新たに「丸山遊廓」が設けられます。元禄5年(1692)の記録では、遊女屋74軒、遊女1,443人を数えました。この丸山遊廓の遊女は「出島」のオランダ屋敷や唐人屋敷への出入りが許されたため、オランダなどの物品が備えられるなどエキゾチックな雰囲気であったと云われています。
 
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△絵葉書 「長崎 丸山遊廓」
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 絵葉書の風景を探して、長崎電気軌道の路面電車に乗って停留場「思案橋」で降り、坂を登ってくと丸山公園に着きます。公園内には丸山遊廓を説明する看板が設置されていて、この公園の角を左に曲がると、目的の場所はその先の坂道の上にありました。現在、当時の雰囲気を伝える建物は「長崎検番」の建物くらいでしょうか。検番とは、芸者が稽古を行ったり、 芸者の手配および統括を行う事務所です。
 長崎検番のホームページによると、「長崎町検番は明治40年4月、丸山南検番は明治42年8月に創立されています。丸山南検番の芸子も、廊内の料理店だけでなく、市街の料亭・料理屋を出先としていました……。戦後まで検番が存在したのも、丸山南検番と長崎町検番だけで、この両検番は昭和24年に合併して長崎芸能会という組織を発足させます。そして、昭和47年には、樺キ崎芸能会と、株式会社組織にしています。なお、長崎では戦後いわゆる「芸妓置屋制度」は廃止されており、この株式会社も在籍芸子のみが株式を所有できる制度となっています。また、検番という名称も使用しない方針をとっていたため、当初は長崎芸能会と名乗った訳ですが、これについては昭和52年に長崎検番と戻しています」とのこと。
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△路面電車に乗って思案橋で降り
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△カステラで有名な「福砂屋本店」の前を通り
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△長崎検番の建物を見つつ進むと
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△坂の突き当りには「長崎丸山華街の碑」が建つ
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△最盛期の丸山遊廓の様子


 さてお昼は、遊郭の真ん中に位置し創業三百七十年の史跡料亭「花月」のお座敷で、 名物「卓袱料理」を頂きました。花月(引田屋)は寛永19年(1642)に創業し、江戸から幕末、明治と長崎を舞台に活躍した国際人の社交場となりました。文人墨客も数多く訪れ、頼山陽は3ヶ月にわたって逗留。なかでも、「竜の間」には亀山社中を設立した坂本龍馬が付けた刀傷が残されています。昭和35年に長崎県の史跡に指定され、全国的にも珍しい「史跡料亭」として営業しています。卓袱料理はおいしかったですよ。御馳走様でした。
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△坂本龍馬とその同志が創った「亀山社中」の記念館
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